さよなら寝台特急出雲 〜大阪出張にかこつけて(笑)〜


 珍しく大阪出張をすることになった。今いる部署は経費節減ということもあって原則出張はしないことになっている上、実際、出張する用件もそうはないのだが、今回は、そうも言ってられずに、どうしても大阪にいかなくてはならなくなってしまった。しからば、最近仕事が忙しくてめっきり鉄分の少ない生活を強いられていたので、この大阪出張にかこつけていろいろやってくることにした。行きはビジネスマンらしく新幹線のぞみ。仕事なんだから当たり前です。でも仕事が終ったあとは、俺の自由だよねってことで、この3月18日の改正でまたまたなくなることになった寝台特急出雲に乗って帰ってくることにした。まずは切符の手配。とは言っても出張なんだから会社が行う。出張精算システムで行うのだが、行きは当然新幹線これは、会議に間に合うような列車を指定すれば特に問題はない。そして帰り。課長は俺が鉄ヲタってことは百も承知なので、帰りは3月でなくなる寝台特急に乗っていいですか?って聞いたら、「もう勝手にせい!(笑)」と快諾?してくれたわけだが、とは言っても社用なわけだから、ちゃんとまともなルートでなければならないのは当然で、あまり突飛なルートで 申請するわけにはいかない。とにかく、京都―東京間で出雲のB寝台を手配することにした。そして待つこと3日。無事手元にのぞみ71号と出雲の指定券が届いたのだった。(笑)
 出発当日。仕事だと言うのになんか嬉しくて仕方ない。気分はまるで鉄に行くような感じだ。それでもお気に入りのスーツでビシッときめて、一応ビジネスマンルック。9時過ぎに颯爽と新幹線の自動改札を通り抜ける。しかしながらホームに上がりまずやりことが写真撮影。いつもの鉄の時と同様、発車案内から次から次に発着する新幹線の車両を撮影する。そして鉄と言えばやはり駅弁選び。東海道新幹線はJR東海管轄なわけで、改札内外で弁当業者も代わる。普段在来線しか利用しないので、物珍しいJR東海パッセンジャーズ製の弁当がさすが東京とばかりに多くの種類が並び選ぶのにも迷う。散々迷った挙句に相変わらず地域限定の文字にひかれ、特選弁当東京(1000円)を購入。弁当屋のおばちゃんは「ありがとうございました。」の代わりに「いってらっしゃい」と声をかける。こんな格好だと誰から見ても出張だと分かるのだろう。しかしこれだけのことなのに、なんとなくこれから仕事頑張るぞと思えてくるから不思議なもんだ。そうこうするうちに品川方から回送で入線。ドア扱いが行われ、早速乗り込む。そういえば、意外にも700系の「のぞみ」に乗るのは初めてだったりす る。指定された2列席の窓側に座り、一丁前にビジネスカバンなんかを網棚に載せる。東京では4割くらいの乗車率で出発。あれ?って感じ。次の品川通過で円筒形のプリンスホテルが見えてくると新横浜に停車。ホームに並ぶ長蛇の列が目に入る。一瞬ちょっとびっくりする。ここでのぞみ71号はあっという間に満席になり、自分の隣にもビジネスマンが座った。噂には聞いていたが、新横浜の需要がここまであるとは思わなかった。東海道新幹線のダイヤ改正のたびに新横浜停車ののぞみが増えていくのも納得する。しかしこれだけビジネスマン一色になる列車というのも珍しい。

9時33分発 のぞみ71号岡山行に乗ります。 例によって出発前にいろいろ撮影しました。
これは西日本仕様の700系 西日本車の特徴であるJR700
のサインが見えています。
500系 のぞみ これが今回乗る700系 のぞみ71号
乗り場案内 700系ロゴ

 新横浜を発車すると左手の富士山が次第に近づいてくる。しかし、今日は、本当に綺麗に富士山が見える。小田原、熱海と通過し、新丹那トンネルを抜け、いよいよ富士山が正面に見えてくる。そして外人によく合成写真と間違われる程の名撮影地の富士川橋梁を通過。日本を代表する富士山と新幹線の組み合わせが実際にあるのが信じられないようである。しかし、車内からは鉄橋を通過しているため、鉄骨が視界をバラバラと遮り、それほど景勝というわけでもない。朝は食べてきたのだが、12時9分に新大阪に到着するので、少し早めにと東京駅で買った駅弁を食べることにする。アサリ御飯を中心に東京らしさが出ている弁当で味もなかなかいい。1000円は今時標準的な価格だが、それだけの価値のある駅弁であると言える。浜名湖を通過し、愛知県に入り、名古屋に停車。ここで4割くらいの乗客が下車した。隣のビジネスマンも降りていった。ふとホームをみると反対側のホームに見慣れない車両が停車している。よくみるとN700のロゴ。おお、これが噂のN700系か。側面窓がやたら小さくちょっと異様に見える。ちゃんと写真に撮りたかったが、降りるわけにもいかず、とりあえ ず、車内から写した側面のロゴマークだけをお見せします。(笑)。名古屋からの乗車は1割程度。座席に余裕があるまま出発し、また一人で座れるようになった。
 先ほどまであれだけ天気が良かったのだが、雪の徐行で有名な関ヶ原付近を通過するあたりでは低い雲が垂れ込めてきた。まさか雪になるわけはと思っていたが、無事に通過、米原を通過し、京都に到着した頃は元の青空に戻った。右手に東寺が見えいかにも京都らしさを感じさせる。京都を出ると15分程で新大阪。そろそろ降りる準備で車内がまた浮き足立つ。

富士山がとても綺麗に見えました。 新富士付近 名古屋で見慣れない車両がいたと思ったらN700系でした。
東京駅、東海道新幹線のホーム上では、駅弁業者が
JR東海パッセンジャーになるため、在来線コンコース等で
売っているものとは種類が変わります。
特選弁当 東京 1000円 地域限定という文字に惹かれて
買ってしまいました。(笑)
深川御飯(あさり飯)、穴子寿司、蛤等、江戸前らしさが出た
弁当です。他は煮物と竹輪の磯辺揚等が入っています。
東京駅ではなかなか東京らしさのある弁当が少ない中、
これは味もよく、お奨めの弁当です。

 新大阪に到着。普通のビジネスマンは黙々とホームを後に階段を下りていくが、自分はまずは駅名標を撮ったりと相変わらずの儀式に余念がない。(笑)。さて、会議は堺筋本町で1時からということでまだ若干時間がある。しからば、みどりの窓口に直行。京都ー東京の乗車券、寝台特急券が一体化した出雲の切符を自分好みに変更する。まずは、乗車券を大阪市内―福知山線、山陰線経由―東京都区内に、出雲の方は、城崎温泉―東京に変更する。でもって、大阪―城崎温泉のはまかぜ5号の指定券もとってしまった。さて、新大阪からは御堂筋線、中央線を乗り継いで、堺筋本町へ。新大阪では昭和40年代の御堂筋線のイラストのデザインのスルッとKANSAIを購入。御堂筋線の本数は多いのだが、中央線が意外と少なく、ちょっとのんびりしすぎたのか、時間ぎりぎりになってしまいちょっと焦る。幸い、駅から徒歩1分のビルなので、なんとか時間通りに到着した。


新大阪に到着しました。 これから御堂筋線に乗ります。 新大阪
御堂筋線10系 新大阪 中央線20系 本町

 ここで2時間程、仕事。これが本業です。というかこのために大阪来たのだから(笑)。


 さて、無事、仕事も終わり、城崎温泉まで出雲を迎えに行くためのはまかぜ6号までまだ時間があるので、南海7000系の旧色の写真を撮りに行こうと思い立つ。堺筋線で天下茶屋へ。そして南海線で難波へ。南海の難波駅は阪急の梅田駅と双璧をなすほどの馬鹿でかいターミナル駅で南海線、高野線合わせて9面8線のホームがずらりと並ぶ。これだけの私鉄駅は東京にも存在しない。このホームに空港特急のラピート、サザン、りんかん等の特急列車を始めひっきりなしに電車が出入りする。そして南海では6000系、7000系という一昔前のデザインの車両が今も主力で活躍している。しかし、櫛形ホームで根元は柵があって撮影に向かないため、撮影のたびに先端部分まで足を運ぶため少々疲れる。物珍しさも手伝って夢中で写真を撮ったが結局7000系旧塗装はやって来ず今回は諦める。

仕事も終ってほっと一息 堺筋線で天下茶屋へ向かいます。
阪急からの乗入車両 阪急8000系
50000系 関西空港行 ラピート
現在 多停車タイプのラピートβのみとなりました。
同じくラピートですが、側面に注目です。
OMRONの広告車です。特急形まで広告車にするところが
なんとも商魂逞しい大阪らしさが垣間見れます。
11000系 特急りんかん
10000系 サザン 10010F
現在サザンは前4両が指定席車、後4両が7000/7100系の
自由席車になっています。
同じく10000系 サザン 10009F

6000系 高野線用 6000系 片扉です。
6300系 高野線用  6300系 6000系を両開にしたものを更に台車を変更しています。
7000系 南海線用 片扉です。
そして、これでも、特急サザンです。
7100系 南海線用 7000系を両開にしたものです。
7100系 特急サザン 天下茶屋 7100系 古めかしいデザインですが、今なお、南海で
最大両数を誇る主力となっています。
7100系 難波 7100系 天下茶屋
6200系 高野線用 8200系
1000系 なんばPARKSラッピング車 1号車 森 2号車 空
3号車 コスモス 4号車 渓谷
5号車 星空 6号車 田園風景
1000系 こちらがオリジナル塗装です。 000系 新ズームカー
泉北高速鉄道 3000系 泉北高速鉄道 5000系
泉北高速鉄道 7000系 南海 なんば駅

 一通り難波で撮影をした後は、新今宮から大阪環状線で大阪へ。大阪を代表する線区だと言うのに未だに103系が我が物顔で走っている。しかし戸袋窓が埋められていたり、雨樋がなくなったりと東京で見ていた103系とはどこか雰囲気が違う。それだけ長く使っていこうと延命工事をしていたわけだが、それでも、そろそろ限界に近づいてきており、新型車両321系が増備されるにつれ、先も見えてきた。大阪ではまかぜ5号を待つ間、KIOSKでお土産を買ったり、適当に写真撮影なんかをする。運良く、321系や207系の新色なんかも見ることができた上に、寝台特急日本海1号なんかも撮影できました。日本海1号は今度のダイヤ改正で函館行が青森止まりになってしまいます。出雲と並んでブルートレイン縮小はもう歯止めがきかない状況になっています。

大阪環状線 大阪駅 103系の活躍が続いています。 321系 207系に代わる新型通勤車
207系 新色 尼崎列車脱線事故のイメージを払拭するため
321系と同じカラーリングになりました。
207系 旧色 2006年3月までにこの塗装は亡くなる予定です。
寝台特急 日本海1号 日本海ヘッドマーク
24系25形 日本海 日本海テールマーク
今度の改正(3月18日)で函館行が青森止まりとなります。

 大阪からは「はまかぜ5号」に乗る。一頃は山陰へ向かう特急は全て181系気動車だったが、福知山線、山陰線とも城崎温泉まで電化が進み、さらに、新型の187系も増備され、181系で運用されるのは気が付けばこの「はまかぜ」だけになってしまっていた。しかもグリーン車のキロを含む堂々7両編成というのももはや奇跡的な存在だ。これでカラーが国鉄色ならいうことなしなのだが、カラーは残念ながら西日本カラーになってしまっている。しかし、この「はまかぜ」の存在意義にはやや疑問が残る。大阪からわざわざ遠回りの姫路、播但線経由の鳥取行。大阪から鳥取に行くなら智頭急行経由の「スーパーはくと」が断然早いし、城崎温泉までなら、福知山線経由の「北近畿」が所要時間、本数ともに優位に立つ。予想通り、グリーン車を含む5両の指定席車はガラガラで出発した。途中、三宮や神戸でも乗り込みはほとんどなかった。使用車両である181系の寿命を考えるとそう遠くはない将来に動きがありそうな感じがする。乗り込むや否や、お腹がすいているので、大阪駅で仕入れた駅弁「大阪夢紀行」に取り掛かる。蓋を開けるとどこかで見覚えのある弁当だ。これはもしかして昨 年夏に食べた「大阪ファンタジー」が名前とパッケージを変えただけじゃないか。(笑)。須磨あたりから山陽電鉄と平行して進み、車窓左手に明石海峡大橋が見えてくるとまもなく明石に到着。姫路からは播但線に入るため、進行方向が逆になる。ここで7分停車するので、ホームにペットの生茶を買いに出るついでに各車両を見てまわると、指定席車はそれぞれ10人未満だが、2両の自由席車はほぼ満席。時間帯から行ってホームライナー代わりの利用のように思えるが、それなら、ガラガラの指定席車を1両減らし自由席車にすればいいのになんて思ったりした。久々の乗る播但線はいつのまにか電化されていたが、こちらは気動車。しかも、夜なので景色はほとんど見えない。
 さて、この列車、車販が豊岡まで乗車しているが、指定席はガラガラなわけで、販売員のおばちゃんはちょっと手持ち無沙汰という感じだ。城崎温泉についても、こんな時間じゃ弁当屋はおろかKIOSKもやってなさそうだし、寝台特急出雲も食堂車がないだけではなく、車内販売もないのだから、夜食用にと弁当を購入しようと呼び止める。幕の内とカニ寿司を積んでいるようで、カニ寿司と言うと、期間限定の松葉かにずしもありますけど、どうしますか?と聞いてくる。値段が少しお高いですけど、天皇陛下も召し上がったものです。と進められてしまって、期間限定と皇室御用達にめっぽう弱い私は、1も2もなく、1530円もする松葉かにずしを購入してしまった。(笑)。味の方は、夜食用に買ったので、ここでは紐解かなかったのであとで述べることにする。
 和田山からは山陰本線に入り、八鹿、江原、豊岡とこまめに停車していく。山陰地方に来ると、とたんに積雪が見られ、山陽側とは気候の違いを実感する。

181系 気動車 はまかぜ
181系気動車が使用されているのはもはやこのはまかぜ
だけになりました。グリーン車を含む堂々の7両編成が
残っているのは奇跡とも言えます。
はまかぜ ヘッドマーク 特急マークにも注目です。
側面方向幕 矢印式で終点で回転させることもありません。 車内の様子 クーラーに古めかしさを感じます。
はまかぜ 姫路駅
ここで進行方向が変わります。
キハ181−48
大阪 夢紀行 800円
以前は大阪ファンタジーとして売られていた弁当です。
デザインとネーミングが変更されましたが、中身→は
ほとんど代わりません。
中味は典型的な幕の内弁当です。これだけおかずが入って
800円はお買い得です。

 21時03分定刻通り城崎温泉に到着。城崎温泉駅はかつては「城崎」駅だったが、城崎町が豊岡市に合併した2005年3月1日にあわせて改称された。最近、駅名に〜温泉とつけるのが流行っているようだが、ここ城崎に関しては「温泉」は蛇足のような気がしてならない。そもそも「温泉」を付けるのは近年の温泉ブームに乗じて、ややマイナーな地名や温泉としてはそれほど有名でなかったところに駅名に「温泉」をつけてアピールをするというのが一般的だった。しかし城崎は有名な文学作品である志賀直哉の「城崎にて」で抜群の知名度を誇るわけだし、温泉地としても名高かかった。なにも今さら「温泉」をつけなくてもと思うのだが。
 出雲は21時45分発でまだ少し時間がある。まずはみどりの窓口で餘部鉄橋の2枚組のオレンジカードを購入。駅の外に出ると、さすが温泉地ということで、こんな時間だがはまかぜ5号からの客を迎えに来た温泉宿の車などが出入りしたり、浴衣姿で外湯巡りをしている観光客も目につく。駅前には、温泉の御手洗所があり、飲むこともできるようにししゃくと茶碗がおいてある。せっかくなので手を浸したあと、一口、口にしたが、ナトリウム泉のため少ししょっぱい。すぐその近くには、日帰り温泉施設「さとの湯」があり、入口付近の足湯は無料なので、ズボンの裾をまくって足をつけてみる。しばらくぼーっとしていたが、なかなか気持ちいいものだ。

城崎温泉 駅名標 城崎温泉駅
駅前にある温泉の手水鉢。温泉の試飲もできます。
ナトリウム泉なのでちょっとしょっぱいです。
同じく駅前にある日帰り温泉施設 里の湯
足湯はただなので、出雲を待つ間に利用しました。
一見普通の113系ですが... 逆サイドは...あまりにもひどいというか手抜きの
先頭車化改造

 そろそろ、出雲の時間になるので、駅に戻る。駅員はいるのだが、特に改札もしない模様。ホームへと行く。変な113系が最終の城崎温泉発豊岡行でホームにはいっているが、まだ運転士もきておらず、ドアも閉まったままで車内も真っ暗。ところどころに雪の残るホームで出雲を待つが定刻になって列車はやってこない。別段案内放送もなく、そのまま待つこと5分。やっと出雲がやってきた。城崎温泉から乗車したのは自分も含めて2人だった。車内は週末ということもあり、そんなにガラガラというわけでもなく、下段がほぼ埋まり、ちらほら上段にも客がいる。なくなるのを前にそろそろ記念乗車組なんかもいるような感じだ。自分のボックスには、1つの寝台を利用する3歳くらいの娘と父親の親子連れがいた。9時を回ったばかりでは寝るには早いわけで、ちょっと騒がしいのには閉口だ。とりあえず、コートと鞄をおいて、検札を待つ。ほどなくして車掌が回ってきて、検札完了。ちょっと車内探検にでかけると言ってもロビーカー代わりになっている食堂車くらいしかないのだが、食堂車がちゃんと食堂として機能していた時代はすでにはるか昔のこと。その後、車販施設になったが今では それさえもなく、半分が食堂車の施設のまま、半分はロビー風に改造されており、崩れかけた「オシ24」の表記も物寂しく見える。そして、この食堂車の存在もあまり知られていないのか、それとも夜が遅くなってきたためか、誰もいない。それならばと、先ほどのはまかぜの車内で買った、松葉かにずしをここで食べることにする。酢飯の上に紅しょうがとカニそぼろがのっている上にさらに、4本の足がのっている。確かに味はよいが、1530円もするほどのものかはちょっと疑問だ。ただ感心したのが、さすが天皇陛下に出されたものだけあって、カニの足のまん中に入ってるいる骨も完全に取り払われていた。食堂車から帰るときに、ざっと見た感じ、3両は先ほど言ったとおり、ほぼ下段が埋まり、ところによっては上段も乗っている程度、1両はところどころ下段が埋まり、残り2両はほぼ無人、A個室寝台は未調査という状況。週末でさよなら記念乗車組がいてこの程度なのだから、廃止やむなしなのかもしれない。
 食事も済み、とりあえず、どこかで、DD51の引く出雲の写真を撮りたいと思っていたが、福知山では停車時間がほとんどなく、結局京都になってしまった。いつのまにか6分の遅れを取り戻しており、すでに12時半を回っているが、ホームには多数のギャラリーが集まっている。しかし、DD51はホームいっぱいに停車する上に、照明も暗いのでアングルのよい写真は断念。客車との連結面を強引に撮影してきた。ここでEF65に付け替えを行い、一連の儀式が終了。

城崎温泉 21:45発 出雲 原色のDD51の引く唯一の寝台特急です。
出雲ヘッドマーク 京都駅 ここで機関車がDD51からEF65に代わります。
機関車付替中です。出雲の赤いテールマークが印象的です。 食堂車も連結されていますが...
オシ24 701 食堂車がロビーカー風に改造されていて、もはや食堂の
役割は果たしていません。
車内のナンバー ちょっと歪んでいるのが物悲しいです。 今や貴重な存在になった冷水機。
左下の飲みにくい紙コップで水を飲むスタイルも昔のままです。
はまかぜの車内で買った 松葉かにずし
昭和43年天皇陛下に献上されたものを再現した弁当です。
中身は酢飯の上に紅生姜とカニフレーク、そして、蟹足が4本
乗っています。

 さすがに眠くなったので、自分の寝台に戻って寝ることにした。翌朝気づいたのは大船付近だろうか、前の親子連れが外は雪だと話してる声で目が覚めた。そっとカーテンを開けて外を見ると、天気予報どおりうっすらと雪化粧をしている。なんか出雲で東京に帰ってきたのではなく、逆に山陰に来たのかと錯覚するような景色だ。まもなく横浜到着10分前ということで、車内放送が入り始める。ここでちゃんと起きる。しかし、今時、カーテン1枚であかの他人と隔てて寝るというのは、やはり時代遅れとしかいいようがない。それでいて、寝台特急料金9450円をばっちり取られる。個室化するなり、寝台券不要のゴロンとシート扱いにするなりしなかったのが、ブルートレインが次々に廃止になった理由であろう。夜行バスが好調なことを見ても、一定量の需要はあるわけで、うまく方針転換が行えず、乗客を取り込めずジリ貧、そして廃止へという流れをついに止められなかったことは残念でならない。
 横浜を出ると次は終点の東京。ようやく狭い寝台で着替え終え、洗面もすませる。そうなると、対面に他人もいて居心地の悪い自分の寝台にいる理由もなくなり、荷物をまとめて、食堂車へ移動。相変わらず、誰もおらず、ロビーを独り占め。見慣れたはずの横浜―東京間を非日常感覚で眺める。そしてさらには雪景色なので、余計に不思議に感じる。多摩川を渡り、品川を過ぎると、まもなく終点東京。定刻通り6時57分に到着となった。東京駅のホームではこちらも、多くのマニアがカメラを向けていたが、せっかくの出雲の赤いヘッドマークは雪に白く覆われてしまっていた。

出雲テールマーク (車内連結面で撮影) 東京駅に到着です。東京はこの冬、初めての本格的な雪のため
ヘッドマークに雪が付着しています。
側面方向幕 このブルートレインも3月17日までです。

こうして今回は大阪出張にかこつけて、鉄なんかをしてしまったが、最近、仕事が忙しくとてもじゃないけど、遠出の鉄をするような状況じゃなかっただけに、今回は役得というか、いい思いをさせて貰った。こんな出張なら、いつでも大歓迎なのだが...(笑)。


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