春鉄2003 可部線訪問記


年甲斐もなく赤い18きっぷが欲しくなってしまい、九州の大学時代の先輩に取り寄せて貰う。赤い18きっぷとは通常みどりの窓口で売られている機械で発券された水色で裏が磁気の黒色の切符ではなく、地方の駅でみどりの窓口のない駅で手売りされる赤い地紋のある紙の18きっぷのことである。このきっぷ昔は比較的手に入りやすかったが、どこでも機械化が進み。今やJR東日本とJR東海管内では発売個所は0。北海道、四国、西日本、九州の一部に細々と残るのみになってしまった。しかも、これらも急速に機械化がすすめられている最中で、毎期ごとに発売個所が減っていってしまっているという絶滅危惧種の1つなのである。(笑)。さて、とりたてて目的もないまま、とりあえず、18きっぷだけ手に入った。ということでどこへ行こうか...。
そうだ、それなら今年11月末でなくなる可部線にでも行こう!と思い立つ。当然のことながらムーンライトながらの指定なんかとれるはずもなく。出発はとりあえず、ドン垣。会社が終わって、残業もせず、少し早めの帰宅。3連休の初日で、今日から臨時の大垣行が運転されるわけだから、混むだろうと思って、21時前に品川駅に到着した。すでに、待ってる人はいたが、前から1桁目には並ぶことができる。家を出てから、新聞紙を持ってくるのを忘れたのに気づいて、品川駅のゴミ箱をあさって確保し、ホームに敷いて待つこと2時間強。列は次第に長くなっていく。23時10分頃に早々と入線。壮絶なイス取りゲームが展開されるが、無事ボックス席の進行向きの窓側をGET!座席を確保してから、とりあえず、トイレに行っておかないと、このままじゃ、途中でいけそうにないなって思って。一度ホームへ降りる。よくよく列車を観察してみれば、列車は167系の8両編成。前より4両はクハ167−1のトップナンバーを含む湘南色。後ろよりは東チタのアコモ改造車。乗ってしまったのは前よりの湘南色の方。でも、原色の167なんてそんなに長いことないだろし。今日のところは座 れるだけよしとしておこう。

大垣行 乗車目標 167系 大垣夜行
サボ健在です。 モハ167−1トップナンバー

さて、出発時間になる頃には、車内には溢れるような乗客でごったがえしており、定刻になっても出発できないありさま。さらに川崎、横浜でも乗り込む乗客がいてさらに遅れていく。もちろん、この列車、全社自由席の快速列車だから、通勤客も乗せてゆく。駅の放送では、国府津までご利用の方はこのあと臨時の国府津行きが続いております。こちらにご乗車くださいと放送はしているものの、ほとんどの客は名古屋方面まで向かうのでそれほどの効果はないようだ。そしてとうとう横浜出発時には、罵声を発したり、電車の側面を思いっきり殴りつける人まで現れ、治安が著しく悪くなる。何回も言ってるけどさ。本当にこれでいいの?そりゃ、3連休の初日なんだから混むのは当然だけど、ここまで乗客を混乱させるのはどうかと思うよ。もう1本増発すればすむことじゃん。とまあ、そんなに簡単なことではないかもしれないけど。さて、今夜は寝れそうにもないかなって思っていたが、小田原を過ぎたころから記憶がない。途中どっかの駅で貨物に抜かれたような...多分、静岡。程度の記憶しかない。浜松では先行していたムーンライトの一度肩を並べるものの、先行関係は変わらず、豊橋で、再 び、追いついたあと、こちらの臨時ドン垣が先に出発する。豊橋からは、ムーンライトながらは大垣までほぼ各駅に停車していくが、臨時ドン垣の方は名古屋まで停車せず、終点大垣へも1時間早く到着するので、降りる客もいる一方でムーンライトながらから乗り換えてくる乗客もいる。名古屋をでるころには空も明るくなりだして、多少は乗客も減ったもののなおも満員のまま岐阜を通り、終点大垣に到着。


ここから、米原方面への接続列車に乗り換えるが、すでに、ドン垣を降りたホームにはすさまじい人の量。階段を上るに登れない状態。この時点で着席は諦める。やっとの思い出、姫路行のホームに行くと、4両編成の電車は通勤電車以上の混雑。座るどころか、乗ることさえ、危ぶまれる状態。それでも、これに乗らないとこれからの予定がくるってしまうので、なんとか乗り込む。気が付いてみれば、西日本色の113系。この区間でこれに乗ること自体珍しいが、そんなことをあんまり考える余裕もなかった。さっきの愚痴の続きになるけどさ、これだって、増結して8両編成にしておけば、全員が座れるまではいかなくても、だいぶ違うのに...。とまあ、こんな感じで関ヶ原を超えて30分ちょっとで米原に到着。とりあえず、ここで、新快速に乗り換える。新快速も混んでるかと思い気やこちらは12両編成のためガラガラ。やっと、落ち着きを取り戻す。しかし、昨晩から1度もトイレに行ってないので、行きたくなってきた。この223系の車内ですませちゃおうと思って、先頭車のトイレまで辿りついたはいいが、ドン垣からの接続の客は皆、同じに思ったのか、すでに、長い列。1つしかな い個室の前で10分くらい待ったかな。(汗;)。長い列にも関わらず、なかには、のんびり用を足す人もいるしさ。やっと、自分の座席に戻って、やれやれという感じ。その安堵感から京都の車庫を左手に見たのを最後に記憶が飛ぶ。大阪、神戸の到着も全く起きず、気が付くと姫路到着寸前。ねぼけまなこで、岡山行に乗り換えるが、ここの階段で一瞬にして眠気がぶっとぶ。さっきの大垣を彷彿とさえる人の量。車内はそれほど混雑している印象はなかったが、12両編成が到着すれば、やはりそれなりの数になるわけでこれが、一気に岡山行になだれ込んだ。岡山行は115系湘南色の4両編成。すでに、乗り切れないほどの人でホームに溢れている。駅員が、無理をせず次の電車もご利用ください。なんてアナウンスがあるが、1時間に1本しかない電車に、次に乗れとはどういうことか。バカはほっといて、とりあえず、強引に乗り込んだ。車内では、東京からのドン垣からの客とは多少変わっていて、大阪圏からの客が多いようだ。とにかく、18きっぷでの移動には変わりないようだが。それにしてもものすごい混雑。各駅に停車するごとに、出発は遅れてゆき岡山到着時には10分の遅れ。車内 で乗りあわせた、中高年の登山グループの人も「混んでるとは思っていたが、ここまでひどいやなんて。増発とか増結とかするようにJRに言わなあかんわな。」と言っていた。同感なので、ここではこれ以上は言わないことにしておく。

117系サンライナー 福山駅 山陽本線115系 糸崎駅

岡山からは本来なら十分な乗り継ぎ時間があるのだが、電車が遅れたため慌しく接続の117系サンライナーに乗り換える。この列車、福山までしかいかないためかそんなに乗り換える客も多くなく、再び、ゆったりと座ることができる。これ以降、席にあぶれることはなくなった。さて、ここでも再び居眠りしながら、福山に到着。朝から何も食べていないので、ここでたこめしを購入。さらにその先の糸崎行に乗り換える。そういえば、18きっぷにまだ日付も入れてもらっていない・・・。ということで、検札にきた女性車掌にスタンプを押してもらおう。美人系というよりはボーイッシュで、元気のいいはきはきしたタイプの花沢さんタイプの車掌である。ここで、やっと、たこめしにありつく。炊き込み御飯の上に具がいろいろのっていて、さらに、甘辛く煮付けた大きなタコ足が踊るように何本か入っていて一見おいしそうにみえるが、絶品というほどでもない。さて、彼岸の陽だまりの中を列車は進み。糸崎へ。三原へもう1歩なのだが、車庫があるためか、ここ止まり。ここから三原行に接続しているが、三原でとまっても仕方ないので、さらにその後の始発の岩国行に乗ることにした。やって きた列車は広島色の115系。これで、ようやくセノハチを超えて広島に到着した。

変り種 115系3000番代 山陽本線115系 広島色 糸崎駅
たこめし 福山駅 炊き込み御飯の上に甘辛く煮付けたたこがのっています。

そして、ここからがメインイベント。可部線。本来なら広島から可部までは105系電車なのだが、ちょうど、加計行の直通ディーゼル列車がやってきた。ボックスシートにどっかりと腰をおろし、可部までの広島近郊の景色を眺めながら進んでいく。可部では105系電車が発着するホームとは別のホームに入る。ここから非電化の加計まで進む。予定では今年の11月を最後にこの先の区間が廃止になる。

可部駅 発車案内 キハ40 2連 可部駅

なるほど、ここから先は可部までと違って、列車本数が極端に少なくなる。加計までは太田川に沿って、いくつかの集落によりながら進む。しかし、2両編成ではあるが、1つのボックスに1人、ないしは2人くらいづつと車内は寂しい。しかも、その約半数近くが自分と同じ鉄なのだから、地元利用客がいかに少ないかが分かる。列車は加計に到着し、ここから先は単行の気動車に乗り換えになる。加計から先になると乗客はさらに少なくなった。途中、築堤に水仙が見事に咲き誇った殿賀に到着。来年はこの水仙とキハ40の組み合わせは見られないのかと思うと残念だ。そして終点三段峡に到着。すでに、夕方近くになっているが1時間程あたりを散策してみる。

三段峡行キハ40単行 加計駅 加計駅
加計駅 ホームの様子 スタフはよいか! 出発合図はよいか! 加計駅
側面 サボ

まず、駅前にはC11が鎮座。可部線を残そうの横断幕がかかっているが、すでに廃止が決まってしまっているのでどこかむなしい。それから、三段峡方面に歩いてみた。噂によると、ここからかなりの距離があると聞いていたが、とばくちまででもと思って、さびれた土産物屋の間を通り坂道を下ってゆく。すぐに橋があり、その上からも、渓谷がうかがえる。そして、橋を渡ると三段峡の遊歩道の入り口になる。なんだ、近いじゃん。まだ歩きだして5分足らずである。そして、渓谷沿いの遊歩道をとぼとぼと歩いていくが、意外にも近くに滝があったり、急流があったりと見所が多い。もちろん、三段滝までは、かなり距離があって、この時間ではいけないが、短い時間でも、十分楽しめだけの絶景が用意されているではないか。バカだよ。地元住民とJRは!なんで、こんないい景色を宣伝しないの???これだけのものがあれば、十分、観光客を呼べるじゃん。

三段峡駅 三段峡 駅名標
駅前に保存されているC11 189 機関室にも入れます。
三段峡駅で出発を待つキハ40 線路はここで途切れます。
以前はここから山陰方面に抜ける計画もありましたが、
それどころか、この線自体が廃線ということになりそうです。
ホームの有効長はかなりあり、単行列車には余計寂しく見えます。 列車本数は1日わずか5本です。

ということで、私の勝手な妄想の再建案を1つ。まず、三段峡の美しさをアピール。そして、東京や大阪からの朝一の「のぞみ」に接続して快速電車を走らせる。そうは言っても広島−三段峡自体が2時間以上もかかる長い行程だ。そこで、この長い行程を逆に楽しめるように、トロッコ列車を走らせる。気動車なので、東日本が走らせてるビュー風っ子みたいな感じが理想。こんなもんでいかがでしょうか?昨年、試験増発をしたそうで、地元利用客の喚起や、ハイキング用に朝夕に列車を設定したが、目立った効果は出なかったそうである。ここまで過疎化や移動手段がマイカーに移ってしまってからでは、そうそう地元需要も復活できまい。そこで、やっぱりトロッコ列車でしょう。トロッコ列車となれば、一般の人にも注目されるし、それこそ、大手旅行代理店のツアーなんかにも組み込んでもらえるだろうし。まあ、そう簡単にうまくいくとは思えませんがね...

さて、1時間あまりも三段峡ですごし、もしかしたら、三段峡にくるのもこれが最後になるのかもと思うとちょっと寂しさを抱きながら、帰りの列車に乗る。帰りも気動車はチンタラと進む。加計で乗り換えて、可部に到着するころにはすでにあたりも暗くなってしまっていた。可部からは白をベースに赤と青のトリコロールカラーに包まれた105系電車で広島へ向かう。土曜日でも通勤時間帯らしく、頻繁に下り電車と行き違う。改めて可部線は可部までなんだと思い知る。広島に到着、夕飯に駅弁ともみじまんじゅうを仕入れて今夜の寝床であるムーンライト山陽を迎えに徳山まで行く。停車中の小郡行に一度乗ってはみたが、かなりの混雑。10分後に出る通勤快速の岩国行きにする。同じ1番線から出発するため、すでに、小郡行の後ろで待機している。小郡行が出発してすぐに、通勤快速も停車位置を変えて、ドアを開けた。こちらは、ガラガラ。ゆっくり、購入した駅弁をとることができた。しかも快速列車ということで、岩国で、先ほどの小郡行に追いつくのである。当然その小郡行に乗るつもりでいたのだが、岩国到着直前の車掌からの乗り換え案内放送で岩徳線は...とアナウンスがあっ た。そうか、どうせ、徳山には早く着きすぎるし、岩徳線周りでもいいよな。ということで、岩徳線で徳山へ行くことにする。真っ暗で景色が見えないから、どっち乗っても同じようなものだが、徳山での待ち時間が少ないのに越したことはない。案内のとおり岩徳線がでる1番線に言ってみたが、列車は停車しているものの車内の電灯も消え、これ、乗れないんじゃないの?状態。おかしいなって思ってたら、駅放送で、岩徳線は本日に限り錦川鉄道のホームから出発しますとのこと。しからば錦川鉄道の出る0番線にいくと、キハ40が1両がすでに、ドアを開けて乗客を待っていた。なんとなく暗めの室内にガルンガルンとけだるくエンジン音が響く。そのけだるさからか、出発してすぐに寝てしまった。

可部−広島間を走る105系電車 115系 山陽本線 JR西日本色
瀬戸絵巻 広島駅 中身は幕の内弁当です。

徳山へは昨年の夏に引き続き2度目の下車。さっそくみどりの窓口でオレンジカードを漁る。グランドひかりの引退記念のカードなんかもあり、かなりの収穫。まもなく、ムーンライト山陽の入線になった。EF65に引かれたピンク塗装のシュプール用14系だが、乗車目標がなく階段のそばに適当に立っていたら、勢いよく前を通過されてしまい慌てて前の方へ走る。車内はガラガラだったが、押さえた指定は最後の1席と言われたもの。1号車16番窓際のA席で入ってすぐの場所。しかも通路側のB席には女性の先客がいて頭からすっぽりスカーフをかけてすでにお休みの様子。一度座席に座ってしまうとなかなか立てなさそうなので、座る前に、トイレや洗面を済ましてしまう。そして、その私を待っていたかのように通路で車掌からの検札もすます。さて、女性を跨ぎ、なんとか座席について、さあ寝ようと思っていたが、岩徳線ではあんなに爆睡したのに、今度はなぜか眠れない。そんなもんです。ぼんやり夜の車窓を眺めつつ広島まで戻る。広島からは、中高年の山登りのグループが大挙して乗り込んできて、車内がにわか賑やかになったが、まもなく減光。眠れない眠れないといいながら、い つしか寝入ってしまい、結局、起きたのは京都の近くだった。(笑)。

今時珍しくなったパタパタ式の表示です。
ムーンライト山陽は臨時快速と表示されています。
そのあとにさくら・はやぶさがきます。 徳山駅
ムーンライト山陽 14系 京都駅

さあ、あとは今日中に東京に帰るだけ。そのまま東海道本線を帰るのはつまらないので、湖西線、北陸線回りで帰ってみることに。そのまえに、朝食を仕入れようと駅弁屋を探すが、どこにも見当たらない。改札口の女性のJR職員に「駅弁はどこに売ってますか?」との問いに、「この時間はまだないですね。」との信じられない答えが帰ってきた。もう朝の6時半であり、新幹線もとっくに走っているというのにまだ駅弁を売っていないなんてどういうことか。田舎駅ならいざしらず、京都だよ。昨年の夏に引き続き、再び、「田舎だな。京都は!」仕方なく空腹を抱えて117系の湖西線に乗り込んだ。高架線から琵琶湖を望みつつ近江今津に到着。ここで、乗り継ぎ時間が40分程あるので、一度駅の外へ。まず、みどりの窓口でオレンジカードを物色。新型の「しらさぎ」デビュー記念を購入。2枚組で、1枚は683系で、1枚は485系ボンネットのデザイン。それでも、まだ時間があるので、琵琶湖畔まで散策。そういえば、1年半前にも同じことしたよな...

湖西線 117系標準色 近江今津駅
419系 ここまでくると北陸らしい電車に出会えます。近江今津駅 国鉄特急色の雷鳥も停車します。 

近江今津からは583系改造の419系で敦賀へ向かう。かなり改造されているが、室内には583系の面影が色濃く残っている。まもなく電気が切れて、交流区間へと入る。敦賀では電化されたばかりの小浜線用の125系の姿も見える。今度は、小浜線にでも乗りに行くかな。なんて思いながら、次の457系の福井行に乗り継いだ。

電化されたばかりの小浜線用 125系 敦賀駅

敦賀をでると、ほどなくして延長13870Mの北陸トンネルを抜ける。そして北陸トンネルを抜ける前にまたまた寝てしまう。(笑)いつのまにか福井に到着してました...でもって、結局、朝から何も食べず、福井まできてしまったのでさっそく、名物のかにめしを購入。この福井のかにめしはお気に入りの駅弁の1つなのである。ちょうど高架化工事の真っ最中で、計画では新幹線にも対応した作りになるようである。そして、跨線橋からは「えちぜん鉄道」の文字も見える。2回の正面衝突事故を起こして前面運休になって早2年。社名も京福電気鉄道からえちぜん鉄道にかわり、やっとこの夏にも運転再開の運びとなるようで、今後に注目していきたい。

福井駅 現在高架工事の真っ最中です。
新幹線の乗り入れ対応も合わせて行われるようです。
発足したばかりのえちぜん鉄道。まもなく運転再開です。 かにめし
カニの形をした容器に入ってます。 かにみそで炊き込んだご飯にかに足がふんだんにのっています。

福井からも再び457系金沢へ向かう。北陸へ来るときは必ず特急だから、各駅停車で北陸線を辿るというのも結構新鮮なものである。でもって、特急街道らしく、年柄年中特急とすれ違ったり、追い抜かれたり。ただ、昔に比べて、白鳥、スーパー雷鳥、きらめき等が整理されてしまい種類的には雷鳥、サンダーバード、しらさぎだけで、少し寂しい。列車は時間あたり1本の運転で、地方の各駅停車にしては標準的なのかもしれないが、それなりに座席が埋まるほどの混雑で、金沢に近くなると、入り口付近に立ち客も多くなった。利用状況からみても30分に1本程度に増やしてもよさそうだが、今は特急優先ダイヤの上、貨物も走るので、なかなか難しいのかもしれない。ローカル輸送の抜本的解決は北陸新幹線の開通後になってしまいそうである。ようやく、北陸最大の都市である金沢に到着。

457系 金沢駅 
行先表示が埋められているのが北陸線仕様の特徴です。
金沢駅
百万石弁当 かなり豪華な幕の内弁当です。

せっかく金沢まできたが、ゆっくり時間もなく、駅弁を買ってまたすぐ次の電車に乗り換える。ここからは直江津までのロングラン。再び、特急に抜かれながら走ってゆくが、特急の顔ぶれが、はくたか、北越に変わる。北越急行用のスノーピッドなどともすれ違う。新潟県に入り、親不知の荒々しい海岸線を眺めるが、海上にまでせりだした北陸自動車道がちょっとじゃま。せっかくの景観が台無しだが、海上にしか作れないほど険しい地形ということなのだろう。そして大糸線との分岐駅糸魚川へ到着。特急の待ち合わせのために20分近く停車する。しからば、ちょっと電車をおりて気分転換。ホーム越しに大糸線の車庫なんかを見ると、今や珍しくなったキハ52と懐かしいレンガ作りの機関庫があってとてもいい雰囲気である。

457系 糸魚川に到着です。 糸魚川駅
大糸線 キハ52とレトロなレンガ作りの機関庫 糸魚川駅
まだこんなのが残ってるなんて、後ろの北アルプスの眺めもいい感じです。
特急の待ち合わせのため停車中の457系 糸魚川

ここで北越を先に通して、やっと出発。まもなく電気が切れて、ここから直流区間に入る。長かった北陸本線もやっと終点の直江津に到着。ここからJR東日本の管轄になるのだが、西日本車であるためか、一番端の0番ホームに遠慮がちにとまる。糸魚川からの乗ってきた高校生が、なんで、いつも糸魚川だけこんな扱い受けるんだよ。たまには正面の1番線に入って欲しいなんて言っている。確かに、0番線ホームから改札までは少し距離があるが、階段の上り降りがない分楽だとは思うのだが...さて、ここからの接続列車には本当に頭にくる。北陸線が到着するわずか6分前に信越線長岡行が出発してしまっている。本数が多いならともかく、おかげで61分もここで待たされることになる。いくら会社が違っていてももう少し接続を考慮して欲しいものである。仕方ないので、直江津の町をぶらっと一周してくる。いつも、能登でついて妙高に乗り換えるみたいな感じで朝の4時半の直江津しか知らないので、ちょうどいい機会ではある。駅前の商店街をとぼとぼと海側へと歩いてゆく。土曜日の夕方であるが商店街にはあまり活気がみられず、いかにも裏日本の地方都市という感じだ。海岸沿いに は安寿と厨子王の塚があって、こんなところにゆかりのある話だったのかとちょっと感心する。散策を終え、駅に戻って、KIOSKで前から一度買おうと思っていた鮭の蒲鉾をお土産用に、それから駅弁の鮭の押し寿司を購入してホームへと下りる。

直江津駅 ここまでくると新潟色の115系がいます。
北越急行の車両も出入りします。
鮭の押寿司 直江津駅 富山のますのすしに似た感じですが、こちらは新潟らしく鱒ではなく鮭です。

ここからは115系の新新潟色に揺られながら長岡まで進む。柏崎からは越後線が海岸沿いを走り、この信越線は内陸側を走る。長岡から上越線に、上越線まで乗ると、あともう一息という感じがしてくる。車内は夕方のため若干立ち客が出るほどの混雑。上越新幹線では一番目立たない浦佐だが、途中駅から乗ってきてここで新幹線に乗り換えて東京へ行く人が結構下車する。越後湯沢から先は各駅に停車する新幹線が多いため必然的に浦佐にも停車する列車も多いわけだが、このあたりでは浦佐はそれなりの地位を獲得しているようである。石打や臨時駅である上越国際スキー場前からは今度はスノボーをかついだ若者がかなり乗ってくる。もはやスキーをかつで乗ってくる人はほとんどない。この若者グループも越後湯沢からは新幹線に乗り換えてしまい、残されたのは若干の地元客と18きっぷ族。しかし、越後湯沢の在来線ホームにはエスカレーターがないらしく、皆、重そうな荷物をかつで階段を上っていった。若いからまだいいが、結局、こんなことだから、やっぱりスキーは車が便利で楽!みたいなことになってますます若者の鉄道離れが進んでしまうのである。年寄りのためにエスカレーター をつけるのも大切だが、これからのユーザーになるべく若者へのサービスも忘れないで欲しいものである。越後湯沢を越えると、ループ線を通り、かつては日本一長かった清水トンネルに入り、しばし車内が轟音に包まれる。トンネル内の駅で有名な土合駅であるが、上り線なので、こちらはなんの変哲もない地上駅。再びループ線を通って水上へ到着するが、夜なもので、2ヶ所のループ線を通ったことはよくわからずじまい。

上越線 115系 新前橋駅 高崎線 211系 上野駅

ここで、高崎行に乗り換える。高崎と聞くと、すでに首都圏。新前橋区の115系の車内路線図もよく見慣れた東京近郊区間路線図になる。この列車高崎までいくのだが、1つ手前の新前橋で下車。前橋発の上野行に新前橋から乗り込む。しかし、そんな小細工しなくても十分座れるほど空いていたのだが。しかもロングシートだし。高崎で数分の停車の後、いよいよラストの上野に向けて出発。各駅停車で、大宮までは時間がかかるが、大宮につくとあとは早い。さいたま新都心、浦和を通り荒川を渡ると、赤羽、尾久。並走する京浜東北線を2、3台抜かし、上野の高いホームにすべりこんだ。いつふりだしたのか東京はあいにくの雨模様。今回も無事終了です。


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