沖縄都市モノレール開業1ヶ月を見る
2003年8月10日、沖縄の県都那覇に戦後初の軌道系交通機関であるモノレールが開業した。今まで、全国で唯一鉄道のなかった県だけに、モノレールの開業は全国ニュースでも大きく取り上げられ話題になった。初日にはまだ慣れない事もあってトラブルに見舞われたり、その後、予想以上の乗車率で慢性的な遅れが生じたりもして、そのことばかりが話題になってしまったが、その後は概ね順調のようである。ちょうど、遅めの夏休みが取れて、開業一ヶ月目の9月10日に沖縄入りして、様子をみることにした。前日はまでは天気にも恵まれ読谷村の日航アリビラに泊まってリゾートを楽しんでましたが、この日は戦後最大級の台風14号が沖縄に接近中ということで、スコールのような激しい雨も降りましたが、少し薄日が差すこともあり、モノレールを取材するにはちょうどよい天気でした。それでは、以下レポートをご覧下さい。
JAL197便 767 羽田空港にて これから沖縄へと向かいます。 沖縄に行くのにはさすがに飛行機で... これが新しくなった日本航空システムの塗装です。 |
沖縄には戦前、ケイビンと呼ばれた3線の軽便鉄道と、那覇市内を走っていた路面電車がありました。このモノレールはどちらかというとかつての路面電車が走っていた区間に近い路線を走っています。軽便鉄道の方は戦争で壊滅的な被害が出て、その後復旧することなく、廃止に。路面電車は、戦争とは関係なく、戦前に乗車人数の減少が原因で廃止になったようです。
車両 | |
那覇空港に侵入するモノレール1000系 | 首里駅に停車中 |
おもろまちに停車中 | このような対向式ホームは 首里、おもろまち、古島、旭橋、壷川の5駅 ですが、首里駅では、現在、反対側のホームには入れませんので、 このような写真が撮れるのは4駅に限られています。 |
車内の様子。座席の背もたれの下まである大きな窓が特徴です。 さらに、先頭部には4席の展望席があります。 |
椅子の背もたれの形が変わっています。 高架を走るモノレールですから、下に広がる景色を眺めるために 下方向にも見やすいようになっています。 |
運転席の様子。通常の電車とは違い右側が運転席です。 | 室内の車番。日立製です。 黄色の壁が鮮やか。 |
側面の「ゆいレール」のロゴマークです。 | 開業当初、手が引き込まれる等、物議を醸したドア。 立っている子供にも外が見やすいようにドア窓が下方向に長くなって います。それが仇になったのかも... しかし、ドアの構造自体は本土を走っている車両と同じような作りで 特に問題があるとは思えません。 やはりなにぶん、鉄道が初めてで、ドアに手をついていると危ないという ような文化がなかったための事故だと思います。今後はそういう教育が 広がると思いますので、事故もなくなっていくのではないかと思います。 |
乗車券 | |
普通乗車券 琉球織の地紋が入っています。 |
1日乗車券 800円。 この他、2日券1200円、3日券1500円もあります。 |
ゆいカード レギュラーバージョン (関東で言うパスネットですが、当然関東では使えません。) |
開業記念カード |
以下、主だった駅を紹介します。
那覇空港駅 | |
那覇空港駅 日本最西端の駅になります。 手前の連絡通路で空港ターミナルと直結しており大変便利です。 |
那覇空港駅名標 |
那覇空港の改札口では、このステンドグラスが出迎えてくれます。 | 那覇空港駅のガラスアート 県花と琉球古典舞踊 |
ここで線路がとぎれています。 | 那覇空港駅に停車中のモノレール |
赤嶺駅 | |
赤嶺駅 日本最南端の駅になります。 | 赤嶺駅名標 |
那覇空港駅は日本最西端(これまでは松浦鉄道たびら平戸口駅) 赤嶺駅は日本最南端(これまではJR九州 指宿枕崎線の西大山駅) ですが、それぞれの駅にはそれらしき標識もありませんでした。 せっかくですから、そういう記念碑があってもいいかと。それから、 それぞれ記念のオリジナルゆいカードなんかあるといいですね。 収益にも繋がると思いました。 | |
ガラスアート 平和の礎と平和記念堂 激戦地となった摩文仁の丘です。 |
旭橋駅 | |
旭橋駅 | 旭橋駅名標 |
ガラスアート 世界最大の那覇大綱挽 | 那覇バスターミナルと隣接しています。 交通の結節点としての機能も兼ね備えています。 |
県庁前駅 | |
県庁前駅 | ガラスアート 大交易時代の琉球王府 |
県庁前の手前はご覧のようなS字カーブがあります。 | 沖縄は南国のリゾートとは言っても、さすがに県都那覇の中心街、 ビルの合間を縫うようにしてモノレールがやってきます。 |
美栄橋駅 | |
美栄橋駅 | 見栄橋駅名標 |
ガラスアート 美ら海と海洋レジャー | 改札口付近 乗車券を片手にさっそうと通り抜けるのは、東京や大阪からの観光客。 慣れない自動改札機にまごまごしているのが地元沖縄の人です。(笑) 沖縄にとってはすべてが初物ですから無理もありません。 |
牧志駅 | |
牧志駅 那覇の中心街である国際通りの最寄駅です。 | 牧志駅名標 |
ガラスアート 躍動感溢れるエイサー | 牧志駅運賃標 最寄の施設が書かれています。 |
おもろまち駅 | |
おもろまち駅 | おもろまち駅名標 |
ガラスアート 町の名に因んだ組踊 | 駅前にはバス停が。本土では当たり前の光景だが... 今後、那覇でも、バスはモノレールのフィーダーとしての役割が 求められている。 |
バス&ライドの推進のため新しくバスとの結節点となるため駅前にバスターミナルが 新設されているが、現在、バス会社との調整の難航や市民の交通に対する 意識が変わらず、開業一ヶ月目ではご覧のように閑散としていた。 |
おもろまちに進入するモノレール |
古島駅 | |
古島駅 | 古島駅名標 |
ガラスアート 沖縄伝統のたたずまい | 各駅にはご覧のようなモノレールのパネルが設置されている。 |
首里駅 | |
首里駅 | 首里駅全景 駅前にはタクシー乗り場がある。 首里城までは徒歩で20分程でもいけるが、タクシーでも便利だ。 東京とは違い、1メーター480円で行くので3、4人で乗るなら安いものだ。 |
改札口の様子。 | 首里駅名標 |
ガラスアート 王府首里城と王朝文化 | 龍の模様が入っています。 |
乗車人員のべ100万人突破の看板 | 改札口をでたところにある駅周辺の案内図。 |
ここで線路が途切れます。この先の延伸構想もあるようです。 | 首里駅に停車中のモノレール。 隣は運転士です。黒のズボンに青のかりゆしウェアとドゴール帽の制服です。 |
番外編 | |
国際通りを走る那覇交通 通称銀バス。 変換後の1976年に通行帯を右から左に一斉変更したときに 導入したと思われる古豪バスです。本土ではほとんど見られなく なった形式です。 |
反対側です。窓が開いているところをみると、冷房はないようです。 |
こちらは同じく那覇交通の別デザインのバスです。 |
沿線の商店街にも貼られていたポスター | 沿線にはご覧のように、モノレール開業にあてこんだセールを 行っている店もありました。モノレール効果で沖縄の経済も活性化されると よいのですが... |
これで、ようやく沖縄にも鉄道が出来たわけです。戦後すでに、60年近くが過ぎ、沖縄に住むほとんどの人が全く鉄道を知らない世代になっています。そんな中でのモノレールの開業。本土では切符を買って、自動改札機を通って、ホームに上がって電車を待つという当たり前のことが、ここでは初めてのことなのです。バス路線も、新規路線ができれば、バスは路線変更を行い、最寄駅までのフィーダー線に徹するものですが、今まで、唯一のそして基幹系の公共交通だった沖縄のバスが、すぐには本土のバスのように方向転換が行えないというのも無理のないことです。また、マイカーの普及率も高く、唯一の公共交通であったバスに乗ることも自体もほとんどない沖縄の人に、このモノレールがすんなり受け入れられるかも問題です。しかし、国際通りをはじめ、那覇市内の道路は慢性的な交通渋滞で、これをなんとか解決していかなくてはなりません。開業一ヶ月が立ち、沖縄のニュースや新聞各紙では開業一ヶ月目の特集がこぞってくまれましたが、(このページもその1つ(笑)。正直言って、まだ、なんとも言えない状況です。8月の夏休み期間中は物珍しさで遊園地(沖縄には遊園地がないん
ですね。)のアトラクションに乗るような感覚での乗車も大半を占めていたのも事実です。9月に入り、幾分、落ち着きを見せており、通勤、通学等、定着的な利用者も見受けられるようになったいますが、はやり今後1年間くらい動向を見る必要があるでしょう。
また、那覇市内以外でも沖縄を南北に貫く国道58号線は交通量も多く、慢性的に渋滞しています。本来なら、沖縄本島を南北に通る高速鉄道も必要でしょう。構想のようなものは昔からありますが、このモノレールを機会に、そういったことも検討されていくといいですね。
帰りの飛行機はJAL906便 777 台風接近の中、なんとか定刻に飛び立ち帰路につきました。 |
終わりに...
今、沖縄は南国の楽園リゾートのような感じになっており、本土から多くの観光客がこのリゾート気分を満喫しています。しかし、沖縄はその昔、第二次世界大戦で激戦地になり、多くの一般市民が犠牲になり、また敗戦後1945年から本土復帰の1972年までの27年間の長きに渡って、米国に占領されていたことは、日本人にとっては忘れてはならないことです。本土復帰後も基地問題は未だに残っており、嘉手納、普天間を始め大きな基地がいたるところに残っています。
こうしてゆったりリゾートしたりできるのは、とにもかくにも平和のおかげなのです。沖縄を訪れた際には、ひめゆりの塔に参拝とまで行かなくても、一瞬でもいいので、この戦争と平和について考えて欲しいと思います。若い人たちが、一瞬でもこの問題を思ってくれれば、悲惨な戦争は二度と起きないのではと思います。
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