サイパンで鉄!?


いつも海外に行くと、「鉄」しないの?ってお決まりの質問が飛んでくる。実は俺、あんまり海外の鉄道に興味はないんだよね。でも、蛇の道はへびってことで、機会があれば、もちろん鉄します。(笑)。今回はサイパンなんで、まさか鉄なんてって思ってたんですけど、あったんですね。鉄...。今から55年前までの日本統治時代に、さとうきび栽培がさかんでそのさとうきびの運搬用に鉄道があったのです。ハワイのマウイ島にあるシュガートレインみたいなものですね。もちろん、サイパンの統治がアメリカになってからはさとうきび栽培もなくなってしまい、さとうきび列車もなくなりました。今では、線路もなくなり、ガラパン地区の「シュガーキング公園」内に1両の蒸気機関車が安置されているだけです。


砂糖きび運搬用蒸気機関車

この機関車は、1944年4月まで南洋開発社の砂糖きび運搬用
として活躍したものです。
砂糖きびの運搬は、不幸な戦争により全滅し輸送用レールは撤去され、
この機関車も放置されておりました。
1945年当時この場所にあった消防所の所長ビル・イーガー氏
(デンバー在住、海兵隊員としてサイパン線参加)がその目印として
16人の日本に手伝ってもらって据付たものです。
更にそれから30年後、大阪在住の下田四郎氏により現状に修復されたものです。
シュガーキングパークの中にひっそりと安置されている。 こちらが正面、ちょっと逆光なのが残念。
これが全体。後ろには貨車らしきものが連結されている。 対側。黒と赤の塗り分けがなんともいい感じである。
機関室内部。かなり損傷が激しい。 動輪部分。線路にも乗っていない。こちらもかなり損傷していて痛々しい。
機関室内の釜の部分。 反対側から 側面の痛みも目立つ。
正面から 正面アップ。ふたもなくなってしまっている。
貨車部分。テンダーではなさそう。 方から
後ろから ややアップ。 最後はもう一度前方から。

鉄道とは無縁と思えたサイパンで、思いがけずに鉄道に出会えてラッキーでした。日本統治時代シュガーキングと呼ばれていたのは、さとうきび栽培で莫大な富を築いた松江という日本人でした。やはり日本人は鉄道好きなんですかね?(笑)。しかし、廃止にはなったものの、激しい戦火を潜り抜けてよくここまで残っていたものです。さすがに相当痛んでいますけど...。ここに安置された方とその後、修復された方の苦労が偲ばれます。しかし、この炎天下とスコールそして、7月〜9月までの激しい台風に野ざらしにされていては、ますます痛みが激しくなると思われます。せっかくここまで残っているのなら、なんとかして、室内保存にして欲しいところであります。ちょうど近くに北マリアナ博物館があるので、そこにこのサイパンの貴重な産業遺産を是非静態保存してくれればと思います。


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