飯田線トロッコファミリー号と佐久間レールパーク


気がつけば8月も最後の週末、18きっぷを消費するため毎週のように鉄に繰り出していたが、いよいよ最後の1枚、今夏最後の鉄となった。今回は飯田線と中部天竜駅に隣接している佐久間レールパークを訪れることにする。飯田線に乗るのは実に12年ぶり。辰野から豊橋まで単純に乗り通すだけでも6時間〜7時間もかかってしまうので、飯田線に乗るというのはちょっとした一大決心が必要だ。(笑)。そんなこともあって、飯田線からはちょっと足が遠のいていたのだ。とにかく、まずは前日のムーンライト信州にて出発する。以前は定期の急行アルプスとして運転されており、臨時も2、3本運転されていたときもあり、大勢の登山客で賑わっていたが、今は、多客期のみの全車指定臨時快速になってしまい、これも時代の流れなのかとちょっと寂しい気がする。もっとも快速に格下げになったおかげで、18きっぷでも乗れるようになったのだが。なにはともあれ、会社が引けて、大急ぎで着替えて、食事をして、シャワーを浴びて、新宿23時半を目指して家を出た。新宿には予定とおり、23時半前についたのだが、今、新宿駅は大改装中。ムーンライト信州は、あずさ・かいじの発着するホ ームから出るのだが、そこまで行き着くのに一苦労する。ムーンライト信州は新宿23時54分発なので、次の停車駅である立川までの450円の切符を購入して乗車。ところが、接続列車が遅れてるということで発車は24時ちょうどになった。こういう場合って、450円分の切符は買わなくて良かったのかな・・・とケチなことを考えたが、あまりにもみみっちい根性の自分にあきれ果て、考えをやめた。(笑)。

23時54分発 白馬行 旧急行アルプスとほぼ同じ筋です。 183系快速 ムーンライト信州 新宿駅
ムーンライト信州 ヘッドマーク
字だけなのでちょっと寂しいです。
北アルプスの絵でも書いて欲しいところです。
側面方向幕

快速になったとはいえ、筋はアルプス時代とほとんど変わらない。但し、辰野周りが昼間の特急同様に塩嶺経由になっている。車内はほぼ満席。新宿の金曜の24時ではまだまだネオンが賑やかなな中を出発した。大月くらいまでは起きていたような気がするがそのあとは眠ってしまったようだ。飯田線への乗り換え駅である上諏訪には3時50分に到着とかなり早すぎるので、松本まで行く。と言っても松本にも4時32分とかなり早い時間に到着する。ここでこちらも臨時格下げになった急行ちくまと接続するのだが、ちくまの方が30分遅れての到着。ムーンライト信州もそれに付き合って、ちくまを待つ。やっと入ってきたちくまはパノラマグリーンを連結した381系。383系から車両も格下げになってしまったが、ファンには逆に嬉しい運用だ。かくして、遅れてきたちくまもそれを待っていたムーンライト信州もやっと空が白みかけてきた5時過ぎに慌しく発車していった。しかし、これでなにより気の毒だったのが、4時45分に上高地方面へと向かう松本電鉄がちくまの接続をとらずに出発してしまったことだ。次の列車は6時35分までない。ちくまからの客は1時間半近くも松本駅で待 たされてしまうことになった。他社線だから仕方ないのかもしれないが、もう少しお互い連絡をとって、接続をとるようなことは出来なかったのだろうか。さて、本当は松本駅で駅弁でも調達したかったのだが、早朝のため、売店はあいておらず、そのまま5時47分発の立川行で上諏訪まで引き返す。

松本に到着したムーンライト信州 右側は始発のあずさ2号東京行 30分遅れで到着した臨時急行ちくま
ちくまは臨時格下げの上、車両も383系から381系になりました。
臨時の松本電鉄上高地線 ハイカーや登山客を運びます。 早朝便だけは新島々(しんしましま)までノンストップの快速です。

上諏訪も駅弁取り扱い駅だが、駅弁は8時過ぎまで入荷しないとのこと、そのまま空腹を抱えて飯田線に乗り込む。その代わりに、足湯入湯記念のオレンジカードを購入。入湯記念とは言うものの、足湯も営業時間は7時以降で、入ってはこれなかった。飯田線は2両編成の119系天竜峡行。岡谷までは再び来た道を戻り、岡谷からは塩嶺ルートと分かれて小野、辰野へと進む。急行アルプスがなくなったことで辰野を通る優等列車は飯田線へ直通する、快速みすずくらいなものになってしまったが、快速みすず自体もほぼ各駅に止まる列車もあり、優等列車と言い切れるものはさらに少ない。辰野からその飯田線に入ったのだが、夕べちゃんと寝てないせいもあって、伊那市まで爆睡状態。飯田線は元々は私鉄として開業しているということでJR路線と違い駅間が短く、里中を頻繁に停車していく。しかも、各駅で、少ないながらもそれぞれ乗り降りがあり、細々ながら、地域の足として活用されているようだ。その中に駒ヶ根など、中核駅も存在する。県南の飯田はさらに南下して上諏訪から約3時間で到着した。鉄道ではかなり不便だが、岡谷から伊那市、駒ヶ根、飯田と中央道のルートになっており 、東京や名古屋へは高速バスを利用した方が断然便利な地域だ。中央道は飯田からは恵那トンネルを通って中津川へと抜ける。鉄道も中津川に抜けるルートがあれば、状況が変わったのかもしれない。

115系 高尾行 松本駅 上諏訪駅
119系 天竜峡行 JR東海車が乗り入れてきます。 天竜峡駅

さて飯田からさらに30分で天竜峡に到着。天竜ライン下りで有名であるが、ここまで上諏訪からすでに3時間半が経過。とても遠い。大方、ライン下りをする人は車でくるのだろう。ここで豊橋行に乗り換えて、さらに進む。飯田線は天竜峡を境にガラッと車窓が変わる。今までの里中の景色だったのが、一気に山間に囲まれ、右下には、天竜川が見え隠れするようになる。天竜峡を出て1時間程で中井侍(なかいざむらい)に到着。ここまでが長野県で、ここから先は静岡県に入る。その昔、まだ信州ワイド周遊券があった頃は、この中井侍までが範囲だったので、駅名にはなんとなく覚えがあった。信州ワイド周遊券はとても便利で使い勝手のある切符だったので復活してくれると嬉しいのだが、不便で悪名高い周遊きっぷのままで一向に改善の兆しが見受けられないのは残念である。次の小和田(こわだ)は皇太子妃雅子さまの旧姓と同じということで、皇太子様ご成婚の折に話題になり、入場券なども多数売れた駅である。さらに次の大嵐(おおぞれ)は駅前の川が県境になり、対岸の愛知県富山村(とみやま)は人口219人という日本で一番小さな村とうことで有名である。しかし、ここにも市町 村合併の波は押し寄せており、今後どうなるか注目されるところである。大嵐からさらに20分程走ったところでようやく、中部天竜に到着した。

天竜峡に到着した119系 ここで豊橋行に乗り換えます。

中部天竜では約3時間程、時間をとってあって、駅構内にある佐久間レールパークを見学する。入場料は駅の入場料の140円のため、有効な乗車券を持っていれば、改めて入場券を買う必要はない。佐久間レールパークは旧中部天竜機関区跡地に作られた、JR東海直営の鉄道博物館とでも言うべき施設で、機関区の線路を利用して静態保存されている16両の車両展示をメインに、館内には鉄道模型やプラレール、運転シュミレーター等があるのだが、見学の前に、朝から何も食べていないので、とりあえず、併設されている食堂で昼食を取る。ざるそばと御幣もちのセットを食べてみる。ざるそばの方は、いまいちっていうか、こういうところの食堂ではこんなもんかなっていう程度だが、御幣もちは味噌の香ばしいかおりがなかなかよかった。

中部天竜駅 通票の赤箱が残っています。
元祖DMV?(笑) 佐久間レールパークをご案内します。
車輪に腕木式信号 入口の雰囲気だけでも鉄にはわくわくします。
展示室に一歩足を踏み入れると飯田線全駅の駅名標とNゲージのジオラマが出迎えてくれます。
115系のカットモデルなぜかJR東海カラーです。
運転台は運転シュミレーターになっています。(1回100円)
赤箱の展示室もあります。実際に触ることもできます。
写真とサボの展示 歴代の国鉄の制服の展示もあります。
キハ80系のヘッドマーク 2Fはプラレールコーナーです。それにしてもすごいタワーがあります。

さて、ついたときはガラガラだった構内も、豊橋からのトロッコファミリー号が到着すると一気に家族連れで賑やかになった。展示品の中でやはり目を引くのが、旧関西国電のモハ52。現存するのは、ここだけである。晩年は飯田線で最後の活躍をしたということもあり、ここが終の棲家となった。また、クハ111−1やキハ48000、そして旧型客車なども展示されており、1部の車両は車内に入ることもできる。いずれも、今や貴重な車両ばかりで、こうして、実車が保存されていることは何よりである。ただちょっと残念なのは、やや手狭なところで、写真もちゃんと撮るのに苦労するほど、展示車両が接近している。まあ、少しでも多くの車両を展示したいので、詰めてあるといったところなのだろう。そして、展示スペースの飯田方は、まだ、本線と繋がっており、ここから車両の入れ替えが比較的容易にできるようになっている。このおかげで、先日までクハ165が臨時に展示されていたのは記憶に新しいところである。と講釈はこのくらいにしておいて、あとは写真をご覧下さい。

それでは佐久間レールパークのメインである展示車両を見ていきます。 ED62 14 
飯田線で96年まで使用されていた客貨両用の電気機関車です。
キハ48036 キハ17の両運型です。 クヤ165−1 
サハシ153からの改造の直流教習制御車です。
なんの変哲もない113系のように見えますが... 実は111系しかもトップナンバーです。
近郊型電車の始祖です。
クモハ52004 関西流電ここに健在です。
初めて実物を見てちょっと感動です。
(しかしマイクロエースの模型とは似ても似つかないなあ・・・(笑))
ED11 2 
大正12年に、アメリカから輸入された貨物用電気機関車です。
クモハ12054 
昭和6年製の17m級 通勤用電車です
車内の様子 スタンションポールと木の床に注目です。
ソ80−180 
事故復旧のためのクレーン車です。
チキ6132 
左のソ80と対で使われるクレーンを支える控車です。
キハ181−1 
特急しなのに投入された車両です。
正面から
スニ30 95 
昭和2年から7年にかけて
製造された荷物車でダブルルーフ構造が特徴です。
オハフ33 115 
昭和14年から製造された3等客車です。
オハ35206 
昭和14年から製造された代表的な戦前製の3等客車です。
車内の様子
乗ったことないはずなのになぜか懐かしい感じがしました。
オロネ10 27
昭和30年製の急行用の2等寝台車です。
マイネ407
昭和23年に新しく作られた1等寝台車で2人用個室と
日本初のプルマン式寝台があります。
0系新幹線 カットモデル 運転台の様子
オヤ31−12
通称「おいらん」こと建築限界測定車 
写真では畳まれていますが、車両から直角に出た針を
おいらんのかんざしに見立ててそう呼ばれるようになりました。
こんな山間の中にレールパークはあります。

佐久間レールパーク以外は駅前に特に何もなく、3時間の時間も後半はやや持て余し気味。ここからは本日のお楽しみである、トロッコファミリー号に乗る。一人身の私にトロッコファミリーとは当て付けのようにも聞こえるが、まあそんなことは気にせず、乗ることにした。さて今をさかのぼること1ヶ月前。この指定券を取るため、海浜幕張駅のみどりの窓口へ。指定券申し込み書に8月29日中部天竜−豊橋 トロッコファミリー号と記入して窓口の若いイケメン駅員に渡すと。若いので端末の扱いは慣れていると見えて、ちょっとマイナー指定券でも、すばやく発券される。こんなときに、おじさん駅員だといきなり、時刻表をめくりだすものだ。最近、増えた女性駅員も、こんなときは、意外とすばやい。やっぱおじさんってのは何をやらせてもダメだねぇ。ってそんなことはいいのだが、このイケメン駅員、早く出してくれたのはいいのだが、切符を渡すときの確認で、私の顔をまじまじと見ながら、「中部天竜」を指しながら、「これって何て読むんですか?」ってマジ顔で聞いてきた。(笑)。こっちが面食らって、「そのまま「ちゅうぶてんりゅう」です。」って言ったら。「ちゅうぶてんり ゅうですか。」だって。おいおい、このくらいの駅名読めないか?つうか、駅名どうやって入力したんだろう。列車名のトロッコファミリーから検索して停車駅を選択したのかな...。確かに、京葉線の駅で他社線であるJR東海の飯田線の駅だから仕方ないかもしれないけど、中部天竜ってそんなにマイナーか?元機関区だってあったっていうのに。指定券を手にそんなことを思い出しながら、引き上げ線から入線してくる列車を待つ。

豊橋からの下りトロッコファミリー号が到着です。
ここで引き上げ線に引き上げて、2時間ほど待機します。
ちゃんとデッキがあるところを見ると、
トロッコにしては珍しく貨車からではなく客車からの改造のようです。
こちらは控えの12系客車 側面方向幕

先頭はEF58。久しぶりに生のEF58に対面する。ホームに据えつくと早速乗り込むが指定の座席は1号車3番C席。ところが、1号車がなんと2両つないである。1両はトロッコ車両だが、もう1両は12系客車だ。どういうことだろうと思っていると、なんとこの列車、荒天時に備えて、1人につき、トロッコと普通の座席と2つの席が用意してあるというなんとも贅沢な列車なのだ。とりあえずはトロッコの車両に乗り込む。普通はこういうトロッコ車両の座席は固いベンチシートで長時間座っていると苦痛になるが、、この車両は、ビニールクッション製なので随分楽だ。列車が動き出し、心地良い風が体に吹き付ける。自分のボックスに若い夫婦連れが相席となったが、後ろの方に空き席があり、移動して1人でボックスを仕切ってくる。豊橋まで2時間半という長丁場だが、こういうトロッコ列車だといつもと気分が変わって、そんなに時間も長く感じられない。列車は静岡県から愛知県に入る、湯谷温泉、本長篠と停車してゆく。誰と誰が戦ったのか覚えていないが、長篠の戦いで有名な場所で、地名だけは聞き覚えがあった。こんなとこにあったんだという感じだ。

上りトロッコファミリー号の入線です。
EF58はやっぱりかっこいいです。
トロッコ部分の様子
側面のエンブレム 形式はオハフ17です。 トロッコ車内の様子 シートはビニールクッション製です。

さらに1時間程走ると新城に到着。ここで後から来る特急伊那路を先に通す。せっかくなので、ここからしばらくは12系客車の方にも乗ってみる。トロッコに飽きたのか、座りつかれたのか、結構な数の乗客がこちらに移動してきていた。最後尾の座席には、記念スタンプも置いてある。今日、客車列車は寝台特急や臨時以外ではほぼ全滅しているので、こうして12系に揺られるのも今や貴重な経験である。とは言ってもトロッコ車両の方が楽しいので、またすぐにトロッコ車両に戻った。

新城に到着したトロッコファミリー号 新城駅名標とトロッコファミリー号
客車の後方から撮影 12系客車の車内です。今や数少ない12系です。
EF58 157 ナンバー部分です。 トロッコの先頭からEF58を見ています。
特急伊那路に先を譲ります。 伊那路ヘッドマーク

ところが、まもなく名鉄豊川線の線路が右側から近づいてきて、豊川に到着。ここからは、複線区間になり、危ないので、乗客全員が12系の方に移るように案内される。ということで、トロッコと同じ席分の客車を用意しておかなければならないのである。下地の手前からは今度は名鉄の本線が近づいてきて合流し複線になる。ここから終点の豊橋までは名鉄と線路を共用する。なぜ、ライバル関係にあるJRと名鉄が線路を共用?って思うかもしれないが、名鉄の前身である愛知電気鉄道が豊橋乗り入れを果たす際に飯田線が国鉄に買収される前の豊川鉄道の線路を使用する代わりに豊川鉄道にも愛知電気鉄道が引いた線を使用してもらい、お互いに複線として使用するという契約がなされ、それが、それぞれ、名鉄、JRになってもそのまま引き継がれているという歴史的背景があるからだ。その功罪で、飯田線はともかく、列車本数が膨大になった名鉄は本線であるにもかかわらず、豊橋口ではかなりダイヤの制約を受けることにもなっている。豊川から9分で終点豊橋に到着。ホームも名鉄のパノラマスーパーと並んで到着。突然の珍客にこちらのEF58が率いるトロッコファミリー号は居合わせた 人の注目の的となった。

豊川に到着したトロッコファミリー号
ここから先はトロッコ車両から12系の方に移らなくてはいけません。
トロッコファミリー号 ヘッドマーク

豊橋で、とりあえず駅弁買って、あとは東海道線をひたすら東京へと向かう。駅弁買ったはいいが、夕方の東海道線は、かなり混んでいて、とても駅弁食べる雰囲気ではない。結局終点の静岡までの約2時間、弁当の包みは開かず。静岡から乗り継ぎは悪く、2分後に接続する18時45分発の列車は富士から身延線へと入ってしまう西富士宮行。その後は、19時1分発の熱海行となる。そして熱海に20時15分に到着すると東京行は伊東から直通の20時38分まで23分も時間があいてしまう。なんか嫌だなって思いながら電車を待つホームの柱に貼ってあった駅員用の時刻表を見ると、19時35分発に東京行がある。しかも2ドアって書いてあるところをみると折り返しムーンライトながらになる373系のようだ。調べてみると東京には22時39分に到着。30分以上先に発車する19時1分発に乗っていっても東京には22時30分とわずか9分しか違わない。ということで、このあとの373系に乗ることに決める。まだ45分以上も時間があることだし、一度、改札口を出て、駅構内の土産物屋なんかを冷やかしに行く。冷やかしのつもりだったが、せっかくなので、田丸屋のわさび漬を 買ってしまう。わさび漬というと丸い容器に入って、500円くらいが相場であるが、これだと1人暮らしには多すぎる。目にとまったのは、ビニールのスティックタイプのもの。40g入って、100円。(税別)これだと量も少なくて、しかも100円という値段で買いやすい。そして何よりも老舗田丸屋のものだから、味も確かだ。

113系 静岡行 静岡駅 静岡駅
豊橋 応援べんとう
何を応援するのか、何で、浜名湖花博の掛け紙なのかよく
分かりませんが、とりあえず、きれいなので買いました。(笑)
中身はオーソドックスな幕の内弁当です。
373系 普通東京行 沼津駅 東京方から 同じく 静岡方から

さて、15分程前になり、ホーム戻って、373系東京行を、待つ。地元では結構知られているのか、結構、乗客が集まりだしている。かくして予想通り9両編成の373系が普通列車として入線してきた。駅の放送でも、特急型車両ですが、各駅停車として運転します。普通乗車券、定期券でご利用いただけますと案内が入る。18きっぷ最後の行程がこの373系で締めくくれるのはなんとも嬉しいものだ。窓側にゆったりと座席を倒して腰掛けて、ここで心置きなく弁当の包みを解いた。しかしやっぱり各駅に止まるとは言え、113系や211系に乗ることを思えば、373系のリクライニングシートは天と地ほど違いがあり快適この上ない。3時間の行程もこれだとかなり楽だ。しかも乗り換えがないと言うのもいい。一つ難を言えば、暗くて、外がほとんど見えないことくらいだろうか。熱海を越えて、東日本エリアに入ってくるが、東海の373系の中では、いつもと違って、そんなには帰ってきたという実感はわかない。それよりも普段は11両から15両という長編成で運転される区間に短い9両編成ということで夜の上り列車だが、そこそこ混雑してくる。東京に近づくに連れ、いつのまに か雨が降り出し、平塚あたりから本降りなってきた。気がつくと、車窓にも雨粒越しにネオンが増えてくる。横浜、川崎を過ぎると多摩川を渡り東京都へ入る。再開発で駅の両側に高層ビルが立ち並び、新幹線の駅もできて、名実とも東京南西部の玄関口となった品川に停車。鉄道唱歌の発車ベルに送り出されると、まもなく新橋に到着。今回はここで下車。こうして、私の18きっぷの夏は終わりを告げた。


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