松山・高松 瀬戸内紀行 後編


2001年10月8日(月)
今朝も6時起きで、7時前には出発する。我ながら、元気なもんだ。(笑)。まずは、琴電の高松築港から出発。途中、再開発予定地を通り、そこの看板に、琴電の高松築港駅が、JR高松駅前に、なる予定が書いてある。そんな計画があったんだ。確かに、今の場所はちょっと不便だよな。さて、琴電に乗るのも久しぶりなんだが、その高松築港駅の様子がかなり変わっていた。昔は、琴電のターミナル駅という感じで、小さいながらも、存在感のある駅だったように思うが、今は、プレハブに毛が生えたような、チャチな駅舎になってしまってる。やはり、JR駅前に移るための仮駅なのだろうか?とにかく、目的地の屋島までの切符を買うが、地紋もない真っ白い紙の切符が発行され、少々味気ない。ホーム自体は、昔の面影を残しており、すでに琴平行きの1070形車両が入線している。本当は志度線に乗りたいのだが、現在は志度線は全列車瓦町始発になっており、高松築港まで乗り入れてはいない。1070形は元京急の快速特急車の600系であるが、前面も変わっており、車内もロングシート化されており、唯一の面影は側面の様子と2ドア車ということくらいであろうか。

高松築港駅 1070形(元京急600系)

その列車を瓦町でおりて、志度線に乗り換える。あれ?志度線は何処だろうと思って見渡すと、別ホームらしく、階段を上るようにサインがある。それに従い、進んでいくが、志度線ってこんなに離れてたっけ?昔は同じホームから発着していたような気がしたのだが...。そして、さらに、志度線ホームについて驚いた。なんと、志度線と琴平・長尾線とは線路が切断されてしまっていたのだ。なんでだろう...。そんな疑問を持ちつつ、電車を待つ。入線してきた電車元名古屋市交東山線250形だった600形。現在は白・緑・黒のトリコロールカラーを身にまとっている。その電車に揺られながら、ひとまず、琴電屋島へやってくる。

600形(元名古屋市交250系) 志度線瓦町駅。 琴平・長尾線とは線路が分断されている。

今日最初の目的地は屋島ケーブル。駅から、坂を登ること約5分でケーブルカー乗り場へ。昭和25年製と年季が入った車両に乗り込む。ここ屋島はかつて源平合戦が行われた場所である。実は、屋島へは、6年前に、出張で来たときに、1度訪れているが、せっかくだから、もう1度来てみたのである。屋島山上は結構ひろく、貸し自転車があって、それで回った記憶がある。やっぱり、貸し自転車屋はあるのだが、まだ8時前のため店が閉まっており、自転車を貸して貰えそうにない。仕方ない、歩いて回るか。前に来たときは、夕方の飛行機の時間を気にしながらの散策だったので、慌しかったが、今回は時間もあるので、ゆっくりと回れそうだ。しかし、6年程前の記憶なんてかなりいい加減なもので、あれ?こんな感じだったかなって思えるようなとこばかりである。すでに、痴呆の症状がでているのか?(笑)。標高が高いためか散策路のところどころに見られるナナカマドの葉が一部赤く染まっているものもある。20分程歩いたとこで、四国八十八箇所の第八十四番札所の屋島寺に出た。立派な山門、広い境内、大きな本堂、そして噴水まである非常に立派なお寺さんである。そして、源平合戦 を今に伝える血の池へ。非常に小さな池だが、戦で、おびただしい量の血のついた刀をこの池で洗ったところ、池が血の色に染まったことから名づけられている。今は何事もなかったように、緑がかった池には鯉が悠々と泳いでいる。1000年以上も前のことであれば、無理もない。そして、屋島といえば、やっぱり展望台からの眺め。讃岐富士から、瀬戸内海に浮かぶ島々まで見渡せる。

琴電屋島駅から望む屋島 山腹にケーブルの鉄路が見える。 屋島ケーブル 屋島登山口駅
屋島ケーブル 1号車義経号 どことなくレトロな車両 こちらが山上側から見た車両
車内の様子 昭和25年製 戦後まもなくの生まれである。
屋島ケーブル 屋島山上駅 屋島寺境内
屋島からの眺め 琴電屋島駅


屋島を後にして次なる目的地はにわかお遍路さんになって、第八十五番札所の八栗寺へ。って本当の理由は八栗ケーブル(四国ケーブル)なんだけどね。(笑)。ということで、琴電屋島から2つ先の琴電八栗へ向かう。琴電八栗についたはいいが、実は、ここからケーブルカーの乗り場までは、上り坂を約30分歩かなくてはならない。当然、バスもない。駅前にタクシーだけはあり、普通はそれを利用するらしいが、時間もあることだし、テクテク歩くことにする。2WAYバッグをリックにして、準備万端。さて、出発。しかし、ダラダラと上り坂で徒歩30分というのは、やはり少々疲れる。特に、後半は坂もきつくなってくる。そして、もうやだ。って思ったころに、やっとケーブルカー乗り場に到着。空き地がないわけじゃないんだから、もう少し、下からケーブルカー作ってくれればいいのに...。さて、ここのケーブルカーは前面がちょっと変わった形をしていて、すごくレトロっぽい。車内は、15分ヘッドにもかかわらず、お遍路さんや、一般参拝客などで、結構、にぎわっている。屋島ケーブルでは、上りも下りも自分1人きりだったのとは偉い違いだ。せっかくきたのだから、山上の 八栗寺にも当然参拝する。参道には土産物屋や屋台も出ていて、結構にぎわっている。境内もいかにも、山の上にあるお寺という感じで、趣深い。ここでも、「戦争が早く終わりますように」と祈って、下山する。帰り道は下り坂になって楽になるのだが、10時を回り、朝から何も食べていないので、少々、お腹が減ってきた。ということで、行きに見つけておいたというより、駅前から電柱の看板が続いてるし、野中の一本道にやたら大きな店なんで、嫌でも目に付くんだが、山田という讃岐うどん屋が途中にあるので、そこで腹ごしらえをする。(注 首都圏にもよくある山田うどんではありません。(笑))10時を少し回ったとこで、店自体まだやっていないんじゃないかと思ったが、どこから集まってきたのか、かなりの客が入ってる。いい天気だったし、散々歩いてきて、少し暑かったのでざるを注文する。さすがに、本場の讃岐うどん、こしがあって、うまいことこの上ない。値段も480円と東京では考えられないほど安い。

八栗ケーブル 八栗登山口駅 八栗ケーブルカー 1号 独特の前面。
八栗山上駅 四国八十五番札所 八栗寺
これが 2号車 琴電 八栗駅


はらごしらえもすんで、鋭気を養い再び、駅に向けて歩き出す。琴電八栗から、なぜか高松方面には戻らず、志度方面へいく。(笑)。そして、志度からは、JRで栗林公園北口に行く。ここも、高松・松山ゾーンからは外れるので、券売機で260円の切符を買う。ちょっと安いのに、驚く。40分も乗るのに...。同じJRでも、毎朝乗ってる快速で20分の新木場−海浜幕張でも380円もとられているのに。って思っていたら、謎が解けた。2つ先の八栗口で、延々14分の停車。徳島行の特急うずしお7号の行き違いと、さらに、高松行うずしお8号の通過待ちである。しかし、いくら単線の各駅停車っていっても、ここまで待つのはどうかと思うんだよね。

琴電志度駅に到着した600形 瓦町へと向かう600形 (琴電屋島)
JR 志度駅 JR四国1000系気動車 八栗口での待ち合わせの間に撮影


さて、栗林公園北口に着いて、目的地の栗林公園を目指す。今まで、高松には何度も来ているが、時間的な関係というか、鉄ばかりしていたので、訪れる機会がなかったのである。栗林公園はもともとは江戸時代後期の大名屋敷の庭園であり、日本三名園である金沢兼六園、水戸偕楽園、岡山後楽園とも引けを取らない名園である。それもそのはず、明治期の小学校の教科書には、高松栗林公園は日本三名園の上をいくと紹介されていたくらいであるのだから。その言葉どおり、広大な敷地の日本庭園は見ごたえ十分。しばし、都会の喧騒を忘れさせてくれる。

栗林公園 ここからみる眺めが最高!
これが、栗林公園北口駅 単なる高架橋に見えるが、駅である。 新しくなった高松駅

1時間半ほど、散策して、本数の少ない高徳線にあわせて、栗林公園を後にして、とりあえず、高松まで戻る。このあとは、南風リレー号と南風の文字通りリレーで琴平へ向かう。(笑)。その前にリニューアルされた高松駅をじっくりと見てみる。頭端式のホームがずらりと並ぶ様子はいかにもターミナルという感じがする。ついでに、お遍路さん弁当なる駅弁も買って、6000系南風リレー号に乗車する。この時間帯は高松−高知間を走る「しまんと」は運転されておらず、この快速南風リレー号で、宇多津で乗り換えることになる。6000系はJR四国のオリジナルで比較的新しい電車だが、前面は211系の顔を持ち、国鉄末期の面影を色濃く残した電車である。その211系の様な顔には「南風リレー」のヘッドマークがついている。南風に接続すると言っても車内はガラガラ、しかも、その少ない乗客も南風に乗り継ぐ客よりはむしろ高校生や地元客ばかりである。そのおかげで、席に座るや否や、ゆっくり駅弁を食べることが出来たのだが...。しかし、停車駅は快速と言えども、さすがに特急接続だけあって、特急並。高松を出ると坂出まで停車しない。そして、瀬戸大橋線を右に分ける と宇多津になる。実は、周遊きっぷの入り口駅が宇多津になっているが、サンライズ瀬戸で四国入りすると、宇多津駅は経由せず、坂出が入り口になるのに、これでいいのかなって思っていた。しかし、この瀬戸大橋線と分かれる三角線は宇多津駅構内なのである。ということで、宇多津駅は通過扱いということで、周遊きっぷの入り口は宇多津でいいのである。さて、その宇多津で瀬戸大橋線を渡ってくる南風を待つ。南風リレー号もそのまま琴平までいくので、そのまま乗っていてもいいのだが、特急に乗れるなら乗ろうっていうあさましい魂胆だ。(笑)。宇多津を出ると、次に多度津からは土讃線に入り、あっという間に琴平に到着する。

高松駅で少し時間があったので、四国でしかみられない列車を撮ってみました
JR四国2000N系 うずしお 213系マリンライナーと6000系南風リレー号
8000系電車特急いしづち 貫通タイプはヘッドマークもなくそっけない。 四国でしかみられない、国鉄時代からの近郊型電車121系
宇多津に到着して南風と接続をとる6000系南風リレー号 そして岡山からの2000系南風9号の入線
琴平に到着した南風9号 四国でみられる唯一の湘南カラー 
JR西日本車の115系 各駅停車の岡山行 (琴平駅)
琴平駅前にある シゴハチの動輪 JR琴平駅 三角屋根が特徴である。

 琴平からは琴電で、琴平線から長尾線へと向かう。琴平線の車両は元京急の1000系。色だけ琴電のピンクとアイボリーのツートンになっているが、他は京急1000系そのまんま。車内は、琴平出発時点ではガラガラだったが、高松に近づくにつれ、序々に賑わってきた。1時間近く揺られて、瓦町でその電車を降りて、本日最後の予定である長尾線へ乗り換える。ここで、最後に一発!旧型車が来ないかなあなんて思いながらホームのベンチで待つこと10分。な、なんと釣りかけサウンドとともに、超古豪の3000形長尾行が入線してきた。思わず、ガッツポーズ。これで、四国で思い残すことはないよ。喜び勇んで、乗り込んだ。休日とはいえ、夕方ラッシュ時間帯なので、そこそこ座席は埋まっている。運転本数も比較的多いらしく、頻繁に行き違い列車と出会うが、皆、元、名古屋市交の車両ばかりだ。もしかして、この古豪に乗れたのは超ラッキーだったりするのかも。なんか余計嬉しくなってしまった。さて、長尾に到着して、3000形をなめまわすように観察する。銘板を見て、さらにびっくり、大正15年製。75年前の電車である。こんな骨董品が未だに現役で走ってるなんて本 当に感動です。さて、帰りも、同じ列車で高松築港へ。心行くまで、この大正ロマン漂う電車を楽しむ。高松築港直前に、もう1編成、旧型車両とすれ違った。どうやら、夕方ラッシュ時間帯になると、ねぐらからでてくるようである。

琴電琴平駅 JRの駅とは徒歩3分の距離 琴平線1080形 元京急1000系 
高松築港方からのショット 1063形(元三岐鉄道モハ130) 
後ろには1060系(元阪神5108形)が見えます。(琴平駅の留置線にて)
日本で1位、2位を争う古参電車 3000形 長尾駅
車内の様子 大正15年 日本車両製 右からの表記にも注目です。
3000形は琴電オリジナル 屋根のRが美しい...
325 連結部分 貫通型だが、渡れない。
夕暮れ時、高松築港駅に到着 朝晩を中心になお現役で活躍


 これで、四国での予定も滞りなく、終了。JRの高松駅に戻る。すでに、夕暮れを迎えており、リニューアルされた高松駅は暮色とネオンで美しい姿をあらわしている。帰りのマリンライナー46号まで、まだ1時間以上もあるので、KIOSKでお土産を買ったり、レストランで本日2回目の讃岐うどんを食したりして、四国での最後の時間を過ごす。マリンライナーは勢いで900円出して、グリーン車を奮発。一度、乗りたかったんだよね。クロ212。入線してきたマリンライナーは最近、登場した、ピンクの桃太郎塗装。今回は最後までついてるなあ。早速、その桃太郎塗装のグリーン車に乗り込んだ。グリーン車だけあって、さすがに、シートピッチが広い。足を伸ばしても、まだ、前に空間がある。しかし、座席自体は少々くたびれ気味。なんか、ガタガタと揺れるんですけど...。外を桃太郎に塗るのはいいけど、そろそろ、室内更新の時期じゃないのかな。グリーン料金払ってるんだから、そのくらいはちゃんとしてもらわないとね。さて、すっかり暗くなった高松を後にした列車は坂出を出ると、瀬戸大橋線へと入って、3日間過ごした四国とも別れを告げる「バイバイ四国!」

夕暮れの高松駅 昼間とはまた違った顔を見せる。 クロ212 マリンライナー 桃太郎塗装
桃太郎に出てくるキャラクターが側面に描かれている さすがグリーン座席 
足を伸ばしても前の席に届かないほど広いシートピッチ


本州側に入ったマリンライナーは児島、茶屋町を出ると、単線区間に入り、行き違い列車を待つようになる。こんなとこに、まだ単線区間が残っているなんて...。今や、快速マリンライナーが1時間に2本。予讃線、土讃線直通の特急が1時間に各1本。その他に各駅停車もある大動脈なんだから、複線化すればいいのになんて思ってしまう。岡山からは今回初乗りの「ひかりRailStar」。実は700系に乗ること自体も初めてである。今までの東海道・山陽新幹線のイメージを一新するようなグレーの車体に黄色のラインの700系がホームに入線してきた。一方、待避ホームには岡山止まりの0系こだまが入線している。東海道新幹線では姿を見せなくなってしまった0系もここではまだ健在。丸みを帯びた優しい表情に安堵を覚えるのは自分だけではないだろう。さて、こちらの700系ひかりRailStarは正式にはただ単に「ひかり392号」というだけであり、時刻表に「ひかりレールスターで運転」と書いてあるに過ぎない。いっそのこと、列車名も変えれば、分かりやすいのとも思える。車内は、噂どおり乗車率がよく、満席に近い状態。今回はせっかくなので、2&2シートの 指定席に乗る。フル企画新幹線の車両で4列席とはグリーン車並である。隣の席との間も、大きめの肘掛があるので、ゆったりとしている。ひかりRailStarに乗るならやはり指定席に乗らなきゃ嘘だね。インテリアは暖色系蛍光灯のカバーつき直接照明なのだが、明るさを保つためか、白色と昼光色の蛍光灯が交互に配列されている。工夫しているつもりなのだが、見た目には、昼光色の蛍光灯が、白色に比べると、古くなって黄ばんいるように見えてしまって、あまり奇麗ではない。やはり、どちらか一方に統一した方が見た目にはよい。また暖色系の蛍光灯は白色蛍光灯に比べて、やや暗くなるので、夜間などは手元を照らすスポットライトなんかも欲しいところだ。さて列車は姫路、新神戸と停車して1時間弱で新大阪に到着。やっぱり新幹線は早いな。新幹線特急料金2920円の価値を痛感する。

新大阪方から700系ひかりレールスターの回送列車が入線 広島からの「こだま578号」岡山止の入線
山陽新幹線ではまだ0系の姿を見ることができる。 そして、ひかりレールスター392号の入線

 大阪からは今回の鉄の最後の列車となる寝台急行銀河で東京へ。現在、定期列車で「寝台急行」を名乗るのはこの銀河だけである。開放式ながら、全社寝台で、しかもA寝台まで連結されている。とは言うののやはり行きに乗ったサンライズに比べるとかなり見劣りがするのは否めない。急行だから特急より料金が安いとは言うが、結局料金の大部分を占めるのは寝台料金の6180円であるわけで、その分は変わらない。この値段なら、今時、安いビジネスホテルになら、泊まれてしまう値段に、この開放式寝台というのでは、寝台列車の衰退を納得せざるをえない。そういいながらも、さすがに、大阪−東京間という大動脈を結ぶだけあって乗車率の方はそこそこあるようで、下段はだいたい埋まっているようである。ただ閉口したのは、自分の前の寝台の上下が若い女性の二人連れだったので、どこか、気まずい感じがした。浴衣に着替えるのにもカーテンをしっかり占めなくてはならないし。って当たり前のことなのだが...。やはりレディースカーくらいは設けて欲しいものである。ここにきて、初めて、レディースカーは女性のためのものだけでなく、男性のためでもあると実感する。寝台列車 の活性化については各鉄道誌や、多くのファンに語られているので、ここでは多くは語らないが、需要がないわけではないのだから、簡単に、縮小撤退などと言わずに、なんとか、ビジネスにつながるような対策を行って欲しいものである。

急行銀河東京行のサイン 
急行という文字に郷愁を感じるのは自分だけか...
24系25形 急行銀河の入線
幾分、新しさを感じる黒の方向幕 東京の行先になぜか安心する。 機関車部分はホームより先に停車


さて、ゆらゆらと開放B寝台に揺られているうちに、いつの間にかに、眠ってしまい、気がついたのは、車内放送と同時の大船直前。おお、もう大船か...と思いながらも京浜東北線の209系がなぜか懐かしく感じる。そして、6時過ぎの横浜に到着。すでに、東京へ向かう通勤客で混み合ってる211系を見て、今日は平日であったことに気づかされる。まさに、浦島太郎の瞬間である。でも自分は今日一日、休暇を貰っているのだが...(笑)。そして、銀河は、朝のラッシュの直前、6時43分。無事東京駅へ。ややけだるさを残しつつ、ホームに降り立ち、今回の瀬戸内紀行も終了となった。

無事、東京に到着 銀河のテールマーク
すでに機関車から開放された 神田方 EF65 1112号機に牽引されてきた。
急行だが、ヘッドマークがあればいいのに...

松山・高松 瀬戸内紀行 前編
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