各駅停車で行く北海道の鉄 前編


北海道で唯一、国鉄の赤字ローカル線が第三セクターとして辛くも生き残ってきた、北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線が2006年4月20日を持って廃止されることになった。北見と池田の約140kmを結ぶ長大なローカル線であるが、最後にもう1度乗っておきたいと思っていた。一方、北海道へ行くのに前々から気になる切符があった。東日本・北海道パスという、JR東日本、JR北海道の全線、いわて銀河鉄道、青い森鉄道、北越急行の各駅停車そして、津軽海峡線を走る急行はまなすの普通車自由席に限り5日間乗り放題で10000円という代物である。しかし、はまなすには乗れるとはいうものの、本当に各駅停車だけで、東京から北海道まで行けるのか?東海道筋なら本数もある程度あるが、東北、北海道方面となると電車の本数も非常に少ない。18きっぷで石越まで行ったことはあるが、その先はまさに未知の世界。本当にこのきっぷを利用するかはさすがの私も二の足を踏んだ。それもそうだ、今や、北海道へは飛行機が当たり前の時代。輸送手段の約90%以上を航空機が占める。そして残りが、旅情を楽しむということで、北斗星、カシオペアなどの豪華寝台で行くというも の。ここまでが妥当なところで、八戸まで新幹線で、函館までスーパー白鳥を乗り継ぐというものでさえ、変人扱いされるのが実情だ。にもかかわらず、東京から各駅停車で北海道入りしようというのだから、もう狂気の沙汰としか思えない。普通ならぐるり北海道フリーきっぷを使用しそうなものだが、7、8、9月は約10000円近く高い45200円というのもばかばかしい。ちょうど9月に遅めの夏休みが取れることになり時間もあることだし、10000円の東日本、北海道パスを使ってみることにした。

東京駅からは201系でスタートです。 この時間帯はオレンジの各駅停車が走ります。
快速フェアーウェイ 発車案内 485系 快速フェアーウェイ 新宿駅

さて、当日、いきなり各駅停車で行くというのも辛いので、景気付けに新宿から6時24分発の快速フェアーウェイで行くことにした。まずは新宿まで向かうが、9月も半ばにさしかかり、まだ外は薄暗い、東京駅からの中央線もまだオレンジの各駅停車しか走っていない時間帯である。新宿で朝御飯の駅弁を調達しようとして、衝撃の事実。弁当屋の開店は6時半からということ。新宿って夜は遅くまで賑わってるけど、朝は遅いのね。こんなことなら、家で簡単にすませてくるんだった。しかし、まさか新宿ともあろう駅で、朝飯を買い損ねるとは思いもしなかった。仕方なしに空腹を抱えての乗車となった。快速フェアーウェイは使用車輌が485系になってから始めての利用になる。全車指定ながらも快速で特急形とは随分豪勢な列車になったものだ。新宿6時24分定刻通り、これから北海道への長い道のりへと出発した。フェアーウェイの列車名から分かるとおり、かつてのバブル時代は、サラリーマンのゴルフ列車ということだったが、今では、ゴルフバックを持ってる人は皆無で、そんなに多くはない利用客の大半が行楽か所要がメインとなっている。池袋からは湘南新宿ライン同様、田端の手 前まで山手貨物線を走行、その後、短絡線を通り東北貨物線と合流する。大宮では2分停車だが、予定より少し早く着いたようで、3分程時間があるようなので、チャンスとばかりに、階段を駆け上がり、弁当を調達しにいく、大宮はさすが新幹線の駅だけあって、弁当屋もオープン。とにかく、選んでいる暇もないし、お釣りのやりとりしている時間もないので、手っ取り早く、1000円の牛肉弁当をこのままでいいです。と袋にも入れてもらわず、ひったくるようにして買ってくる。NREの駅弁なので、駅弁マークもないし、これといった特色もないのだけど、国産牛肉を使用したということで、それなりにいい味を出していた。大宮を出ると、久喜、栗橋でそれぞれ東武と接続するが、久喜では伊勢崎線、栗橋では日光線で、毎度のことながら少し混乱する。小山を過ぎるあたりで朝も早かったせいか、腹ごしらえもすんで、うとうと。気付くと那須塩原付近。いつのまにか車内も閑散としていて、そろそろ降りる準備を始める。黒磯に9時02分に到着。

大宮駅で購入した牛肉弁当 NREなので東京・上野・新宿などでも
購入可能と思われます。
味は国産牛というだけあっておいしいです。
フェアーウェイ側面方向幕 黒磯駅 上部に新幹線が通っています。
黒磯駅は交直切替のため必ず停車します。
以前は機関車の付け替えをしてましたが、EH500の場合は
そのままスルー運転です。
左は初期車、右は量産車です。前面やカラーリングが異なり
一見、別形式の機関車に見えます。

次の郡山行は9時39分で30分以上待たされる。ここで早速、東北線の本数の少なさと接続の悪さの洗礼を受ける。でもまあ、今回は焦らず、のんびり行こうと心に決めていたので、待ち時間も駅の散策したりと楽しむようにした。ここで臨時特急のあいづなんかも見送ることになる。次の列車はすでに入線しており、701系の6両編成。東北本線でのオールロングシートもここのところだいぶ慣れて違和感もなくなってきた。この先は1時間に1本程度と列車の本数が激減するが、6両もじょろじょろつなげるなら、2両とか4両にして30分ヘッドとかにすればいいのに。郡山には10時40分着。ここでも次の乗り継ぎが11時07分で30分近く時間が空く。郡山までくると福島県に入ったせいか、東北までやってきたという実感がでてくる。

臨時の特急あいづがやってきました。黒磯駅 黒磯からはこの701系で北へと向かいます。

次の乗り継ぎは小一時間ほど乗って福島。11時53分。次の接続は珍しく7分後の12時ちょうど。7分の間にみどりの窓口でオレンジカードを買い求める。最近、首都圏ではSUICA全盛でほとんどオレンジカードの発売がなくなったので、今回はオレンジカード仕入れの旅もかねている。当然、みどりの窓口は改札外にあるので、一度改札口を出る。いつものくせで有人改札口に行って、東日本・北海道パスを提示したところ、駅員に、「自動改札口通せますよ。」と言われて、気がつけば、こんな東北の地にまで自動改札機が進出してきたことに気づく。福島からは白石行。なんか細かくきざまれてるな・・・。

郡山駅 磐越西線455系 キャンペーンのため赤べこがついています。
郡山>福島 先ほどの701系がそのまま福島行になりました。 福島>白石 再び701系です。

白石からはすぐに仙台行が接続しており、やっと701系の呪縛から開放され455系に乗ることができた。3両編成だが、デッキ付の車両はやはり元急行形の貫禄十分である。仙台ではやや時間があるので、昼飯用にと駅弁なんかを物色する。仙台の駅弁ではいつものごとく、牛タン系にするか海鮮系にするかどれも美味しそうで迷うのだが、朝、大宮の牛肉弁当にしたので、今回は海鮮系の、南三陸ウニめしに決定。さて今度乗る列車は陸羽東線直通の臨時快速ゆけむり号。別にねらったわけじゃないのだが、たまたま走っていたので、これに小牛田まで乗車。今回、最初で最後の110系気動車ということになる。電化区間を電車並みの加速度で疾走するのでエンジンのうなり音さえなければ、電車かと思えてしまう。そして701系全盛の東北本線においてせっかくのボックスシートなのだからここで、仙台で仕入れた南三陸ウニめしをたいらげてしまおう。ご飯の上にウニ、金糸玉子、カニが敷き詰めらていて、とても美味しい。30分程で小牛田に到着。小牛田で陸羽東線絡みのオレンジカードを数枚手に入れた。

白石>仙台 455系 やっと急行型に乗れました。 仙台駅
快速ゆけむり発車案内 キハ110 快速ゆけむり これで、小牛田まで行きます。
仙台駅 ウニめし 中はウニ、金糸玉子、カニです。

ここから小牛田始発の一ノ関行に乗る。車両は相変わらず701系だ。一ノ関にはまだ4時の到着で、さきほど、遅めのお昼を食べたばかりだが、ここで駅弁を調達しておく。盛岡で買ってもいいのだが、乗り換え時間が短いので、時間に余裕のある一ノ関で買っておくことにした。NHK大河ドラマにあやかった平泉義経という駅弁を購入。せっかく買ったが、これを紐解くのはまだ先になる。一ノ関では義経や毛越寺(もうつうじ)等のしょうもないデザインのオレンジカードも購入。しかし北海道上陸前にこんなにオレンジカードを買っていたら破算するぞ。と思いながらも、基本的には宵越しの金は持たない主義なので、あればあるだけ使ってしまう。(笑)。盛岡までもこれでもかというほど701系。ただカラーが緑と赤の仙台色から紫をベースの盛岡色になった。しかも、今は義経のラッピング塗装。そして相方はこちらも岩手めんこいテレビのラッピング広告車。まあ、こんなんでも変化があるだけまだよしとしよう。9月も半ばにさしかかり、4時を過ぎるともうかなり夕方の気配。まだ刈り取られる前の黄金色にたわわに実った水田の中を行く車窓を眺めながら、夜明け前から日の入りまでず っと電車に乗ってるんだなあと実感。しかし、好きでやってるんで、不思議と苦痛ではない。

小牛田駅 現在改装中のためプレハブです。 小牛田>一ノ関 またまた701系です。
一ノ関駅 大船渡線キハ100
一ノ関>盛岡 701系 義経ブームにのっとり、側面は義経ラッピングです。
後ろ寄り2両はめんこいテレビの広告車でした。

さて、盛岡からはこのまま正当に行くと東北新幹線八戸開業時に第三セクター化されたいわて銀河鉄道に乗るべきところなのだが、これだと八戸からの接続がなく、青森まで到達しない。事前の時刻表を見ながらのプランニング時にどうしたものかと考えあぐね、まさかと思うが花輪線、奥羽線経由を調べると、青森で6分接続で見事にはまなすにつながるのだ。こんなことってあり、かって思ったが、花輪線周りで行くことに決定。花輪線といっても分岐駅の好摩まではいわて銀河鉄道になるので、いわて銀河鉄道乗り場から発着する。元はJRだったわけだし、駅が別に移ったわけでもないのだし、JR同士の乗り換えに毛が生えた程度だと思っていたら、大違い。いわて銀河鉄道・花輪線のりばの案内に従って、進んでいくが、まず、JRの中央改札口から追い出され。駅ビルのコンコースを延々と歩かされたあげくに、駅ビルの階段を下りてやっと、いわて銀河鉄道の改札口に到着。ホームに入ってみれば、昔の元1番線付近で、JRなら跨線橋ですぐなのに、随分、面倒な乗換えになったものだ。会社が分かれるとはそういうものなのか、いや、こんなお役所的なことをしなくても、東京の地下鉄と私鉄の乗り 入れ駅のようにすれば済む話なのに。毎日、こんな不便な乗り換えを強いられる地元の人が気の毒に思えてしまった。

いわて銀河鉄道 盛岡駅
花輪線も盛岡−好摩間はいわて銀河鉄道なので、ここから
発着します。
キハ58 赤鬼色
中間者はキハ58リバイバル国鉄色です。 先頭車はキハ52 赤鬼色です。

乗り継ぎ時間は7分しかなかったので、結構ぎりぎり、本日、最後の食料調達はやっぱり一ノ関でしておいて正解だった。ホームに停車中の列車はキハ58、キハ52の混結3両編成。真ん中の車輌は懐かしのクリームと朱のツートンカラー。キハ58はともかく、まだキハ52なんて残ってたんだとちょっと感動。このキハ52は、一般型気動車の普及型キハ20とそっくりでありながら、2エンジンと経年が比較的新しいのが幸いしてこれまで生き長らえてきているのだ。とは言っても絶滅危惧種には変わらないわけで、このキハ52に乗ることにした。ちょうど夕方ラッシュ時間帯ということで、帰宅中の高校生や会社員が乗り合わせるが、それでも、ボックスが埋まるには至らず。走行して気が着くが今時冷房もない車両であった。好摩までは旧東北線であるIRGいわて銀河鉄道線を走るが、ほとんどがその線内利用。そろそろ外も暗くなりはじめて、約13年ぶりの花輪線だというのに景色が見えなくなった。もっとも、今回は花輪線に乗るのが目的ではなく、あくまでも北海道に行く手段として、八戸経由では、乗り継げないので、仕方なしと言っては語弊があるが、利用しているので本来は景色 云々などは二の次ではあるのだが、それでもやっぱり...。で景色も見えなくなり退屈になったところで、一ノ関で仕入れた義経弁当とやらを紐解く。御飯は赤い古代米の御飯とくるみ御飯の2色に、平泉地方の料理を詰めたもので、結構いける。列車は秋田県に入り、盛岡から2時間程走ったところで十和田南に20時02分に到着。ここでスイッチバック。日中なら多少の賑わいがあるものと想像するが、この時間だと駅構内は深閑としている。進行方向が逆になり、40分程で大館に到着。奥羽本線へ乗り換える。乗換時間が30分弱あるので、夜の駅前をちょっと歩いてみた。かつて旅客営業をしていた小坂鉄道は現在も貨物鉄道として営業しているのだが、線路は見つけたものの、かつての旅客駅はすでに取り壊されたのか、場所がわからなかった。

一ノ関駅 平泉義経 中味は義経の時代の食事を今風にアレンジしたものが入っています。
御飯は古代米とくるみ御飯の2色あります。
十和田南に到着。ここでスイッチバックです。 キハ52 今時珍しくなったサボ健在です。

大館からは弘前へ向かう。車両は701系かと思っていたが、先ほど、花輪線で終点についた車両がキハ52を切り離したキハ58の2両編成になって運用につく。時刻表をしっかりみれば、列車番号の末尾がDなのだが、気が付かなかった。ということで、せっかくなので、朱とクリームのツートンカラーに乗車。縦型駅名標のデザインが秋田蕗から青森のりんごに変わるとまもなく弘前に到着。やっと本州最北の青森県まで到達した。弘前は最近、橋上駅舎に変わったようで、以前の趣きある駅から妙に近代的な駅に変わっていてちょっと戸惑いを覚える。ここからやっと最後の行程。青森まではまた例の701系のお世話になる。花輪線では皆無だったが、この列車には、何人か自分と同じ目的で青森からはまなすに乗り継ごうという大きな荷物を持った乗客がちらほら見受けられる。そういえば、青森での乗り継ぎ時間はわずか6分。何人かの知人、友人に、座れるとは思うがはまなすの自由席はやはり1時間前には並んだ方がいいと言われていたにもかかわらず、言う事を聞かず、この6分接続にしてしまった。一応、床寝に備えて、家から新聞紙まで持って出てきたのだ。(笑)。新青森を出て、よ うやく青森には22時39分に到着。今朝6時24分に新宿を出て、実に16時間13分かかった。

花輪線の終点駅 好摩から106km918mです。
秋田犬がデザインされています。
SLの御神輿がありました。
大館駅 今まで乗ってきた列車。キハ52だけを落として、そのまま
弘前行になります。

さてはまなすは7両編成で、1、2号車が寝台、4、5、6号車が指定。自由席車は3号車(禁煙)と7号車(喫煙)の2両で離れている。とりあえず、手っ取り早く、3号車に乗ったが、ものすごく混んでるということもなく、1人で座っているところに、相席をさせてもらって、座ることができた。新聞紙がお供だったことに感謝。結局はまなす自由席は青森出発時点ではほぼ座席が埋まる程度の混雑程度。立ち客はでなかった。列車が発車するとさっそく検札がきたが、この自由席に乗ってるほぼすべての人が、東日本・北海道パスだったのには笑った。こんなんで儲かるのかなってちょっと心配になったが、逆に、この切符がなければ、これだけの需要がなく、列車を走らせるからには、少しでも、お金を落としてもらおうという発想なら、成功なのかもしれない。
 列車は海峡線に入りまもなく青函トンネルに入る。この列車では案内はないが、大小7つのトンネルを抜けたあとに入るトンネルが青函トンネルになる。それでも分かりにくいため、青函トンネルには入り口に青や緑のネオンサインがあるので、ぼーっと窓の外を眺めていれば、おのずと分かる。青函トンネルに入ってひとしきり走ると、蛍光灯が明るく灯る場所を通過。ここが竜飛海底駅で、ここから本当に海底になる。またひとしきり走ると、再び、青と緑のネオンサイン。ここが青函トンネルのちょうど真ん中になる。さらにほぼ同じ距離を走って吉岡海底駅を通過。約小一時間で最後の青と緑のネオンサインで北海道側へと出ることになる。深夜0時を回ってようやく北海道上陸を果たした。本来なら東京からはるばるやってきて感無量というとこなのだろうが、深夜で景色が全く見えないこと、疲れと眠さで、とくに何も感想ももたないまま、北海道に上陸という安心もあったのか、まもなく眠りについてしまった。気がつくと、列車は函館を出て、逆方向に進みだしていたがまた寝入ってしまい長万部停車もなんとなく覚えている程度。しかしあんまり寝てもいられない。5時2分に苫小牧で降り なくてはいけないからだ。本州に比べてやや夜明けが早い北海道では少しづつ空が紺色になってきた。次第に景色がはっきり見えるようになってようやくはるばる北海道までやってきたという実感でわいてくる

弘前>青森 701系 夜行急行はもはや貴重な存在になりました。
しかもヘッドマーク付きで一応ブルートレインの体裁を整えた
はまなすは本当に奇跡に近い存在です。
はまなすヘッドマーク 側面方向幕

苫小牧では自分も含めて、パラパラと降りる程度。日高本線方面へ向かう人がいそうなものだが、朝一の列車は終点の様似まではいかないためだろうか。苫小牧駅構内には、北海道にしかいない711系や新鋭の731系が留置されており、本当に北海道にきたと実感する。こちらは6時12分発の室蘭本線経由の岩見沢行までまだ1時間以上あるので、とりあえず、駅の外に出てみる。苫小牧は北海道一の工業地帯で、まだ朝の5時だと言うのに方々の高い煙突から煙がもくもくと出ている。そして、さすが北海道、9月も半ばになり、少し肌寒いので、持ってきた薄いブルゾンを着込む。駅コンコースではオレンジカード発売機があったので、さっそく購入。ところで、この苫小牧にも自動改札機が導入されており、東日本・北海道パスも対応している。いつのまにか北海道も変わったなあ。あとから訪れる他の駅でもそうだったが、乗車券さえ持っていれば、自由にホームに出入が出来てしまうわけだが、それでも、発車案内に「改札中」との表示が出て、アナウンスで只今より、○時○分発△△行の改札を行いますなどと肉声の放送も入る。とは言っても、自動改札なのだから駅員が出てくるわけでもな い。しかし、乗客はその放送に従って、乗車券を自動改札機に通して入場していく。東京では考えられないな...って思っていたが、冬の厳しい北海道では、できるだけ長く暖房の入った駅待合室にいて、発車間際に吹きっさらしのホームに行くというのが当たり前になっているのだろう。またそうしないと耐えられないわけで、こんなところにも厳冬文化を感じる。

一夜明けて苫小牧駅に到着です。 日高線 キハ40
711系 左からキハ40、731系、721系。
JR北海道オリジナル車両に出会い、改めて北海道にきたという
実感がわく。

さてようやく岩見沢行の発車になる。本来ならこちらが長万部から続く室蘭本線であるわけだが、車両はキハ40の単行。まもなく複線電化の千歳線が左へと別れてゆき、単線非電化のこの室蘭本線が取り残されたように先へと続く。原野の中をしばらく進むと、追分。ここはかつては夕張線、室蘭線が交わる鉄道の要所だったところだ。今でも、石勝線、室蘭線との結節点ではあるが、鉄道の要所という面影はほとんどなくなった。それでも、平日朝7時前後は単行ながらも各方面に列車が発着し、束の間の賑わいを見せる。本当は追分からは石勝線を通り帯広方面へと向かいたいのだが、接続列車がなく、時間調整のため、夕張へと向かうことにする。新夕張までは石勝線を進み、新夕張から20分ちょっとで終点夕張に到着。夕張メロンが有名で、沿線に、夕張メロンの看板をいくつか見つけたが、すでにシーズンは終わっており、炭鉱が閉鎖された今は、すでにこれといって見るべきものもない。かつての夕張駅は現在より数百メートル先にあったらしいが、今は少し手前で終わる。駅の外に出てみると、線路の面影はなく、駅前に立派なマウントレースイホテルがあり、ここに日帰りも可能なレースイ 温泉がある。今回は時間の都合で見送るが、ここで温泉につかるのも一興だ。そのまま折り返しで新夕張まで戻ってくる。

キハ40 室蘭線経由 岩見沢行 苫小牧駅 追分駅
キハ40 夕張行 追分駅 夕張駅 駅名標
夕張駅 三角屋根がお洒落な駅舎ですが、無人駅です。 夕張で発車を待つキハ40

ここは「幸せの黄色いハンカチ」の舞台にもなったところで、駅舎には、映画同様に黄色のハンカチが旗のようにかかっている。さて、新夕張−新得間は特急列車しか運行されていないために、この区間に限り、普通乗車券のみで特急を利用できる。東日本・北海道パスでも同様だ。やってきたのは今回、最初で最後の特急になるスーパーとかち1号に乗車。そういえば、283系に乗るのは初めてである。とは言ってもどうせ、短区間だからと勝手に思い込んでいたのだが、新夕張−新得はこのスーパーとかちでちょうど1時間かかる。車内は8割から9割方座席が埋まるというかなりの乗車率。発車するとさすが283系、すさまじい加速で高規格の石勝線を疾走する。そして、所々にある信号所のシェルターが冬の過酷さを物語る。ところで、今日の朝食は帯広到着までお預けかなって思っていたところだったが、座席のポケットに車販の案内が入っていた。そうか、特急ってことは車販があるってことだ。まもなくすると販売員がアイスクリームを売りに来たので、そのときに、札幌から積み込んだ石狩さけ飯を注文して座席まで持ってきてもらう。名前は「さけめし」だが、中身は鮭のフレークの上全 体に大量のいくらがぶちまけられているという豪華なもの。東京なら「いくらめし」として、いくらを売り物にすべきところを「さけめし」と言い放ってしまうところがさすが北海道だ。ちょっと難点を言うならば、北国らしくちょっと塩が濃いところだろうか。最近は関東でも塩分控えめが主流なので、すこし塩辛く感じた。食事も終わり、トンネル続きの車窓にも飽きて、通路上のLED案内をぼーっと見てると、車内でオリジナルオレンジカードを発売しています。車掌にお申し付け下さい。とでてきた。しからばと、車掌室へと向かう。この車掌室はカウンター形式になっていて車掌にも話し掛けやすい。1000円券を4枚程購入した。高原の中に2本の高層ホテルが目立つトマムを過ぎ、新夕張から59分で新得に到着。このまま帯広まで乗っていたらどんなに楽かと思いながらも下車。

新夕張駅 幸せの黄色いハンカチの舞台です。
駅舎には映画と同じ黄色のハンカチがかかっています。
283系 スーパーとかち1号 新夕張駅
札幌駅 石狩鮭めし スーパーとかちの車販で購入 中味は鮭フレークの上にいくらがぎっしりと敷き詰められています。

ここで次の列車まで54分の待ち合わせ。駅には緑の窓口や売店もあり、小さいなりに整っている。駅にいても仕方ないので、駅周辺を散策。時間潰しに駅近くのスーパーをのぞく。北海道のものが安く売ってるかと思ったら、そうでもなく、東京とほぼ同じ値段。特に雪印北海道バターやチーズなどと言った加工品はむしろ東京の大手スーパーの方が安いくらいだ。手ぶらで店を出るのもなんなので、ちょうどペットボトルのお茶がなくなったので、広告の品500mlの伊右衛門98円ということでこれを1本だけ買った。レジで、会計をすませたが、地元のバイトの女の子。いきなり、「(袋には入れないで)テープでよろしかったですか?」と来たもんだ。思わず溜息。どうして、「テープでよろしいでしょうか?」と言えないんだろう...。駅前に戻ると、狩勝峠を越えるSLの機関助士の像があるのに気付く。石勝線の出来る前、根室本線の開通は、道東地方の発展に大きく寄与したこと。急勾配の続く狩勝峠を越えるSLの機関助士(釜焚き)は過酷さを極めたことなど書いてあった。

新得に到着した283系 スーパーとかち1号 新得駅
狩勝峠越の機関助士の銅像 
機関車の火炎蓋は残念ながらレプリカです。
キハ150 快速狩勝 新得駅
狩勝 側面方向幕 帯広駅 スーパーとかちと並ぶ快速狩勝

ようやく1時間近く時間を潰し、旭川からの快速狩勝が到着。車両は北海道オリジナルのキハ150。快速と言っても帯広までに3駅しか通過しない。それでも、いかにも北海道というような起伏のあるジャガイモ畑が車窓に広がり気持ちがいい。帯広駅は最近高架化され、十勝地方の中心駅としてはシンプルな2面4線になっている。改札口は九州の宮崎駅と同じ方式で上りと下りでそれぞれ別に設けられている。ここでは次の接続まで1時間7分の時間があるので、帯広の町を散策する。駅構内の周辺地図を見ると、札幌同様見事なまでの碁盤の目状の町である。散策に出る前にみどりの窓口でかつて帯広からでていた広尾線の愛国・幸福や、士幌線のオレンジカードを購入。高架駅になった今、この両線が出ていた面影のかけらも残っていない。帯広の町は駅前から中層のビル街が続き、商店も多く集まっているが、平日の昼下がりのためか、どこか活気が足りない。人が歩いていないかというとそうでもなく、それなりに人の往来もあるし、広い通りには車が列をなして走ってっている。商店街もシャッター通りではなく、それぞれ営業中だ。それでも、はやり歩いている人が大都市に比べて少ないから だろう。とりあえず、中央公園あたりまで歩いて戻ってくる。散策中に気がついたが、北海道の有名な菓子メーカー六花亭の本店もここ帯広にある。ようやく1時間がたち、今回の最初の目的地である池田へと向かう。当然来年4月で廃止される予定のふるさと銀河線に乗るためである。池田は北海道の中でもそれなりに名が知れているし、全ての特急列車も停車するのだが、その駅は非常にこじんまりとしていて、いかにも田舎のローカル駅という感じがする。町の中心地からも少し離れているためか、駅前も閑散としている。池田には13時11分到着。東京からは実に約31時間かけて到着したことになる。各駅停車でここまで来れたという達成感をちょっと味わう。

帯広駅 最近高架化されました。 ふるさと銀河線CR70形も帯広まで乗り入れてきます。
帯広>池田 キハ40 池田駅

次の銀河線は14時42分。1時間半ほど時間があく。北海道の各駅停車の旅はこうしてのんびり進んでいくものである。1時間半、駅待合室でボーっとしていても仕方ない。まずは、みどりの窓口で記念きっぷなんかが売っていたので、購入。そして、掲示がなかったのだが、銀河線の1日乗車券があるはずなので、JRの窓口だが、恐る恐る聞いてみると、ちゃんとあるそうだ。ということで3500円で購入。結構な値段だが、池田−北見の普通乗車券が3410円なので、90円プラスで乗り降り自由になると思うと格安だ。(残念ながら発売は9月30日まで)。ちゃんと発売しているのなら、銀河線の券売機付近にでも「1日乗車券(3500円)はJRのみどりの窓口で発売中」とでも書いておいてくれればいいのに。一通り用が終わって、ふとKIOSKをみると、駅弁十勝ワイン漬けステーキ弁当、20分程で用意しますとある。しからばとKIOSKのおばちゃんに早速注文。次の銀河線に乗るので、それまでに用意しておいてくれるようにお願いした。それでも、まだ1時間以上の時間があるので、駅からも見える池田ワイン城に行ってみることにした。北海道の9月とは言え、まだ日中 はかなり暑い中、線路沿いを数百メートルとぼとぼと歩き、錆だらけの跨線橋を超えると丘の上ににそびえ立つのがワイン城だ。駅からも見えているので、それを目指してくれば誰でも辿りつけるはずである。こういう施設の入場料って高そうだなって思って、1000円くらいは覚悟していたが、なんとここは池田町の運営で、入場料は無料。施設内は主にワインの直売所と地下の貯蔵室になっておりまず、ここを見学。入口には皇太子殿下ご訪問の栄として、訪問時の写真パネルが設置されている。といっても、ただ、樽に入ってるワインが保管されているので、見学は5分とかからない。1Fに戻り、売店で、飲めもしないのにワインの試飲。係の人が、あれこれ説明してくれるが、下戸なわけだから、当然、ワインへの造詣もないので、まるで馬の耳に念仏。しかし、せっかくなので、注文してあるステーキ弁当のお供にしようと、アルコール度が6%でジュースのように口当たりのよい300ml入りのロゼを330円で購入。飲みきれなかったら今晩の宿でナイトキャップにしてもよい。ちなみに、自分の意思で、自分が飲むためのお酒を買うのは10年ぶりくらいである。(笑)。それでもまだ時間が あるので、屋上へ行く。丘の上にたっているので、ここからの景色は絶絶景。前には十勝平野、後ろにはワインのためのブドウ畑と、ほんとうに北海道に来たんだという風景が広がる。ワイン城は入場無料ということもあり、期待以上によかった。銀河線の乗り継ぎ待ち時間にでも、訪問を是非お奨めしたい。ちなみに、今回は行かなかったが、ワイン城には十勝牛を出す町営のレストランもあるので、食事時には行ってみるのもいいだろう。という感じで、そろそろ時間になり駅へ戻る。KIOSKで注文していたステーキ弁当を無事受け取り、ホームへと行く。

池田 ワイン城 地下のワイン貯蔵庫
屋上からの眺め。正面中央が池田駅です。 裏側は一面ブドウ畑です。
池田駅前のモニュメント ワインのセンヌキです。 池田駅 ふるさと銀河線のりば とありますがJRと共通です。

列車は帯広から直通の快速銀河。JR車はここ池田で切り離し、ちほく車だけが、銀河線へと進む。1両編成になった車内は地元客半分、廃線を知ってわざわざ乗りにきた鉄ちゃん半分と言ったところ。自分は地元のおばちゃんと同じボックスに同席させてもらった。北海道だから必要ないといえば必要ないのだが、当然のごとく非冷房車で窓を全開にして走る。最初はちょっと暑いかなって思ったが、走り出すとかなり冷たい風が入ってくる。なるほど冷房は必要ないわけだ。列車は帯広方面へと進み、しばらくすると、根室線から左へと別れていく。しばらくは牧歌的な風景が広がる中を進む。そして先の衆院選で当選した某議員の出身地である足寄(あしょろ)に到着。実はこの議員と銀河線は切っても切れない関係にある。国鉄赤字ローカル線で廃止対象になっていた池北線をこの議員は地元ということで、北海道唯一の第三セクターにして鉄路として残したからだ。その後のこの議員をめぐる騒動はここで申し述べるべくもないが、再当選をしたということで、この銀河線の存廃にも何らかの影響がある可能性もなくはない。別に彼を擁護するわけではないが、よい方向に話しが進むことを希望する。 足寄で、同じボックスにいた地元のおばちゃんが降りて、一人になったところで、まだ温かいステーキ弁当の包みを解く。ぱっと見はステーキの量が少ないように思えるが150gのステーキが一口大に切ってあって、それがパスタの上に2段重ねで入っているので、見栄えよりは多い。付け合せは前述のパスタと生野菜のサラダ。白飯の上には大きな梅干が乗るところがちょっと和風っぽい。ステーキソースも別になっており、食べるときにかける仕組み。これで1050円とはかなりお値打ちだ。さっそく、ワイン城で買ったワインを抜き。久しぶりに食べる国産ステーキに舌鼓を打つ。ミニボトルのたった3分の1を開けただけだと言うのに、もうほろ酔い気分。少しうとうとしてしまう。しばらくすると山越えをして陸別に至る。陸別は冬は氷点下30度にまでなる日本一寒い町としても有名だ。このあたりから、一面のタマネギ畑が広がるようになり、ちょうど、今は収穫の真っ最中といったところだ。そしてどこからともなく、田舎の香水ともいうべき匂いが車内にも漂ってくる。置戸、訓子府を過ぎ、池田から2時間半以上走ったところで、黄昏の空の向こうに東急の赤いネオンが見えてきて、北見 に到着した。

ふるさと銀河線 快速銀河 池田駅 銀河線の標準車両には全車ヘッドマークがついています。
サボとCR70−1トップナンバーです。 後ろは帯広―池田間のみ並結されるJR車です。
ここで分割され、銀河線の車両のみが銀河線へと進みます。
池田駅 十勝牛のワイン漬 ステーキ弁当 1050円
池田駅のKIOSKで注文してから20分でできます。
中味は150gの焼きたてステーキです。
池田ワイン城で買ったワインのミニボトル。
下戸なのでアルコール度7%の軽いものを選びました。

味はやや甘めでジュースのように飲みやすかったです。
大誉地駅
置戸駅  訓子府駅

今日はとりあえず、ここまで。周遊きっぷや北海道フリーパスであれば、夜もオホーツクやまりもの夜行特急でなんてことができるが、普通列車にしか乗れない東日本・北海道パスではそうもいかず、北見に宿泊。列車内からも遠くから見えた駅前の東急インにチェックイン。しかしまだ夕方の5時。ホテルに入ったところで、このあと何もすることもないので、荷物だけおいて、すぐに、第二部へと出かける。せっかくふるさと銀河線の1日乗車券を持ってるのだから、もう少し乗らなければもったいない。17時40分発の陸別行に乗るべく北見駅へ戻る。こんなときに、駅に近いホテルは便利でよい。北見駅で今晩の夕飯用に北の菜時季というわっぱめし風の駅弁を購入。その他にもかに飯やほたて飯等、おいしそうなものがあったが、いわゆる屋台でよく売るような透明プラ容器に入っただけで、掛紙もないもので、駅弁は駅弁かもしれないが、魅力にかけるもので購入意欲を削がれる。まだ改札には時間があるので、KIOSKを冷やかす。薄荷の産地ということで、ハッカキャンディーを購入。

北見駅 こちらはJR駅に併設されているちほく高原鉄道の本社です。

改札口には帰宅をする高校生が多く集まっており、まもなく改札時間となる。ホームに入ると、ちほく線の車両はあの有名は999イエロー号。やっぱり第二部をおこなって成功だった。車内は先ほどの高校生で混雑していて多少立つ人もいるがそれでもやはり1両で十分に納まってしまう人数だ。序々に外が暗くなってきて、さきほどの田舎の香水の匂いが再び窓から入ってくる。駅に着くごとに、高校生が降りていき、1時間弱走った置戸でほぼ全員が降りてしまった。しかし、来年の4月以降、この高校生達はどうやって通学の足を確保していくのだろうか。この高校生達は銀河線の廃線をどう受け止めているのだろうか。北見−置戸は区間列車も設定されているわけだから、せめて、この区間だけでも残せたら、地元の足としても活用できそうだと思うのだが。このあとはひたすら、深闇の中を進む。遠くに見える家明かりが星のように見え、車内のメーテルや哲郎の大きなステッカーもあって、なるほど銀河鉄道999だと納得する。乗客はついに自分と女子高生の2人きりになってしまった。このまま陸別かと思っていたら、1つ手前の分線から乗客が乗ってきた。驚いてみると、三脚とカメラをかかえ ており、鉄ちゃんとわかる。どこぞで撮影していたのであろう。ちなみにこの列車、置戸から陸別間は最終列車となる。置戸発18:35。陸別着は19:12である。今は暗いが6月、7月ならまだ明るい時間帯のはずなのに、最終列車とは...。廃止対象のローカル線とはこういうものかと思い知らされる。999はここで滞泊のようで、室内灯を消し、エンジンを切った。

銀河線999イエロー号 メーテル側から見ています。
北見発陸別行最終列車に充当されました。 車内のコカコーラの自動販売機が見えています。
北見駅 駅名標 石北本線とふるさと銀河線が併記されています。 室内にもメーテルと哲郎のステッカーが貼ってあります。
そして作者である松本零士のサインもあります。

しかし、陸別駅は公民館と一緒になったいて、駅舎自体は立派なものだ。全駅硬券入場券発売中と張り紙はあるものの、窓口はすでに閉まっており、購入できない。駅前はまだ7時をすぎたところだというのに、人通りはほとんどなく、東京でいえば、深夜のようだ。北見行は19時39分発で同じく、置戸まではこれが最終列車となる。東京では、ピークはすぎたものの、まだまだラッシュアワーで5分ごとくらいに電車が発着するという時間帯である。ということで、この列車に乗り遅れては一大事と早めにホーム行く。まもなく遠くからヘッドライトが見えてきた。意外だったのが、どこから乗ってきたのか、陸別で多くの高校生が降りたことだ。さてあとは北見に戻るだけ。真っ暗な車窓でやることもないので、行きに北見から積み込んだ駅弁を食べる。北の菜時季となっているが、あまり北海道らしいおかずではないが、見た目にも綺麗だし、おかずの種類も豊富で、普通においしい弁当だ。置戸からはまだこのあと1本、22時過ぎに列車があるので、最終列車にはならない。この置戸駅も公民館と一緒なのか鉄筋の立派な駅舎だ。これだけのものがあるのに、廃線とは本当にもったいない。また遠 くに東急の赤いネオンが見えてくる。しだいに東急マークが大きくなってくると北見に20時50分に到着。本日はこれで本当に終了。ホテルへと戻る。

陸別駅 まだ7時半前ですが、深夜のような佇まいです。 陸別駅 駅名標を照らす外灯がおしゃれです。
19時12分 陸別に最終列車が到着です。 哲郎はここでおやすみです。
北見駅 北の菜時季 春夏秋冬で中味が変わります。これは秋バージョンです。
北海道らしさはあまりないですが、
見た目もきれいでおいしい弁当です。
北見駅に戻ってきました。 別のホームからは21:30発最終置戸行が発車を待っています。

翌朝は、鉄としては少しゆっくりめの7時起床、7時半チェックアウト。8時7分発の網走行に乗る。朝食には昨日の夕方には見当たらなかったほたて丼を購入。列車は今時珍しくなったキハ40の4重連。通勤、通学時間に対応したものだろうが、次の柏陽で高校生を含む大部分の乗客が降りてしまい、車内はすぐに閑散となった。とにかく、朝飯ということでほたて丼をあけてびっくり。私の頭の中では、御飯の上に、醤油で味付けしたほたての煮付けが乗っているとばかり思っていたが、なんと御飯の上にはホタテフライが3つばかり乗っていた。ホタテのフライは好きだし、それはそれなりにおいしかったので、まあよしとする。途中、女満別は空港があるので有名だが、時刻表によるとみどりの窓口もない無人駅なのは意外な事実である。実際、空港は1つ手前の西女満別の近くになる。空港ターミナルから近いところに線路があるので、駅を移動して空港アクセス鉄道にすることも可能と思える。知床が世界遺産になり、女満別空港の利用も増えると思われるので、是非検討して欲しいところだ。このあたりから左の車窓に網走湖が見えてくる。その網走湖から流れ出る網走川に沿って進むとまもな く終着網走に到着する。網走駅は特急オホーツクも発着し、知床へと向かう釧網線も出ていて、鉄道駅としてはそれなりの機能を果たしているのだが、市内からやや離れているところにあるので、駅前は少し寂しい。市中心地に近いのはむしろ釧網線の桂台になる。この駅をもう少し手前の市内寄りに移して、網走の中心駅とすれば、利便性も高まるのにと思うし、先ほどの女満別空港からアクセス列車なんかを作ればそれなりに便利そうだが、なかなかそこまで踏み切れないのだろう。今は本数の少ない釧網線の列車が日に数度、通るばかりだ。

8:06分発置戸行 北見駅 女満別駅 車掌車が置かれています。
北見駅 ほたて丼 ホタテのフライが3つ乗ってます。
網走に到着 網走駅 駅名標
特急オホーツクと並ぶキハ40 網走駅

ところで、さきほどから、網走駅のコンコースがやけに騒がしい。何事かと思えば、地元小学生の団体がいるではないか。遠足かなにかと思って様子を伺っていると、社会科見学のようだ。先生の話しによると、中には今回初めて列車に乗る子供もいるとのこと。よって、学校で列車の乗り方を教えなければならないそうである。あーとうとうここまできたか。そりゃそうだ。石北線にしろ釧網線にしろ、ここまで本数が少ないし、市街地から離れていると、列車を使うより、家族の運転するマイカーの方が利便性が高いにきまっている。少子化、過疎とは言うが、それでも、ここには7、80人の子供がいるわけだから、これからはこの子供達をなんとか鉄道利用者へと取り込んでいかなくては、網走地区の鉄道は本当になりたたなくなってしまう。しかし、ちょっと懐かしくも感じた。自分は小学生の頃には何処へ行くにも当たり前のように電車に乗っていたが、(というかこの頃にはもう鉄だった。(笑))。それでも、学校で当時、開業したてのあざみ野駅に社会科見学に行って、駅のホームで駅長さんの話しなんかを聞いたものだ。あざみ野駅を猛スピードで通過する快速電車に改めてびっくりして、 駅では、下がって、電車を待つようにって教えられた記憶がある。今、目の前でも、網走駅長が小学生相手に駅や鉄道について説明、説明している。児童は皆、興味津々。見ていて微笑ましい。なんて思っていたが、このガキどもがこれから、自分が乗る予定の釧網線に一緒に乗ることが判明。ま、まじですか...。団臨をしたててるんじゃないの?仕方ない社会科見学に付き合うか...。

183系オホーツク 知床斜里駅 知床が世界遺産に認定されたのぼりがたっています。

しかし、話しをよく聞くと、この体験乗車は、北浜までらしい。なんだ、もっと乗せてあげればいいのに。10時01分発の「快速しれとこ」はキハ40とキハ54の2両編成。後ろは一応、その小学生のための車両のようで、一般客は前の車両に乗るように案内されるが、後ろの車両だけでは足りずに、前の車両にも小学生が占領してくる。自分は2人掛けのクロスシートの窓側に座っていたのだが、隣に小学生の男の子が座ってきた。せっかくなので、窓側に変わってあげようとしたら、その横の2人掛けの通路側にも小学生が、ということで、席自体を変わってあげて、私が、反対側の席の通路側に座り、小学生2人にボックスシートを譲る。一見、親切そうなお兄ちゃんに見えたのか、引率の先生にもお礼を言われるが、どうせ北浜までなんだからという意識が働いていて、ただ単に、ええかっこしい根性が出ている腹黒さは誰にも分かるまい。(笑)。でも、その一方で、初めて乗る列車で、小学生に楽しい思い出を作って欲しいという気持ちもあって、やったことというのも事実。ここで嫌な思いをして、もう二度と鉄道には乗りたくないと言われてしまったら、元も子もない。小学生にはやはりま た鉄道に乗りたいと思わせてあげなければ。列車が発車し、そのとたんに、小学生達は一斉に歓声を上げる。そして警笛を鳴らしてトンネルに入るとまた歓声。初めて乗る列車、しかも同級生同士。そりゃ楽しいに決まってるよな。おかげで席を譲ったの二人の小学生も列車でのショートトリップを楽しんだようだ。北浜へは15分程で到着。ちょっと短すぎる感じもする中で、小学生達もまだ乗っていたそうに、列車を降りていく。そして、ホームから一斉に、こちらに向かって手を振ってくるので、思わず、手を振り返した。

清里町駅 清里町駅で対向列車を待ちます。釧路方キハ40
網走方はキハ54です。 そして対向列車は同じく快速しれとこ フラワーペイント車でした。

列車の中は急に閑散としてしまい、寂しくなった。特に、後ろの車両は誰もいなくなった。左にはすでに冬の海のような様相のオホーツク海が広がる。まもなく知床半島に遮られるため、海からは遠ざかり、知床斜里に到着。世界遺産に指定された知床を祝うのぼりがホーム中にたっている。さらに先に進むと、緑に到着。1日1本だけ、ここで折り返す列車があるが、これと言って目立つものもない。一応、ここが網走と釧路の境目になるのか、次の川湯温泉までは駅間が少しあく。同じく釧路方から川湯温泉折り返しの列車も1日1本設定されている。1区間15、6分だが、このおかげで、釧網本線を通しで乗れない時間帯がでてくる。一区間くらい走らせて、接続させればいいのにと思うのは素人鉄ならではの考えなのだろう。実際には折り返し運用の都合や、釧路や網走での特急接続、そして何より、この区間の利用者の少なさから、現在のこのダイヤになっていると思われるが、やはり、ちょっと惜しい気がする。川湯温泉駅の右側には異様な様相を呈している硫黄山がそびえ立つ。ここからは道東観光のメインとなる摩周湖に近い摩周を通り、標茶へと至る。以前はここから標津線が発着していた が、現在はホーム上に道標が残るのみ。まもなく、列車は釧路湿原へと入っていき、網走から3時間16分で釧路に到着。近そうに見えるが、結構時間がかかるものだ。今日は釧路で一泊するので、少し早いと思ったが、とりあえず、駅前の東急インにチェックインした。

川湯温泉駅 硫黄山
網走駅 かにめし 中味はカニフレークとしいたけです。
牧草ロール いかにも北海道らしい風景です。 標茶駅
標茶駅に停車中のキハ54快速しれとこ かつて標茶から出ていた標津線の起点
釧路駅に到着した快速しれとこ スーパーおおぞら 釧路駅

各駅停車で行く北海道の鉄 後編
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