春を見もせずに...長野電鉄木島線


2002年3月末、ついに長野電鉄木島線が廃止されることになった。今回は、大学時代に所属していた鉄研のOB合宿が湯田中温泉ということで、ついでに?(笑)木島線にも乗ってきた。

急行アルプス 白馬行 立川駅 急行アルプス 
以前から絵入りのヘッドマークを作ればいいのにって思っていたが
近いうちにE257系に置き換わってしまうであろう。 (茅野駅)
先頭車側面の「azusa 」サイン この方向幕もまもなく見納めに


さて、金曜日、本当は仕事がむっちゃ忙しいんだけど、久々の鉄ってことで、超強引に定時退社。たまにはいいよね。スタートは急行アルプス。土日きっぷなもんで、日付変更線を超える、立川まで、201系でゆく。しかし、まだ2月というのに、東京地方は花粉の嵐。さっきから、くしゃみと鼻水がとまらなくて、どうしようもない。早いこと長野へエスケープしよう。立川0時過ぎ、五日市線、南武線の最終電車の案内放送が響き渡る中、0時19分、急行アルプス白馬行の入線。昔は南小谷まで行ったものだったが、今は白馬止。かくして、E257系の台頭で活躍もわずかとなるであろう、189系がホームに入ってきた。到着した列車は満席状態。指定を取っておいたので胸をなでおろすが、考えてみれば、金曜の夜発で、スキーシーズン真っ最中。この日に混まなかったら、いつ混むの?っていうことに気づいたのは座席に座ってからだ。しかし、いくら特急型のリクライニングシートとはいえ、座席夜行というのは寝られるものではない。寝たり起きたりの繰り返しで、気が付けば、茅野。上諏訪停車のあとは、以外にも下諏訪は通過。そして岡谷からは、時間稼ぎのために、塩嶺ルートは通ら ず、旧線の辰野回りでゆく。時間稼ぎをしたにも関わらず、松本到着は午前4時30分。まだ街が眠りから冷めない時間である。ここから、なぜか、6時3分発のあずさ52号東京行で東京まで戻る。えっ!?なにしにわざわざ松本まで来たの?って思うだろう。自分でもそう思った。(笑)。実はE257系の新型あずさに乗りたかったんだよね。ということで、6時まで1時間半。時間を潰さなきゃ。

E257系新型あずさ 今年中にすべてのあずさとかいじが
この車両に置き換わる。
あずさ52号は新宿ではなく東京まで行く


東京では、すでに、花粉も飛ぶ暖かさになってはいるが、さすがに信州ではそうもいかず、夜明け前では結構冷える。道端にはまだ解けきれていない雪も残っている。適当に夜明け前の街をふらついてみる。実は、松本は学生時代にアルバイトのために過ごした思い出の街でもある。久しぶりに駅前を歩いてみたが、懐かしさと、こんな感じだったけ?というのが交錯する。それもそのはず、もう10年も前の話なのだから。ただ、裏の西口の方は相変わらず、裸電球の街路灯まで当時のままだ。5時半過ぎ、そろそろあずさ52号の出発ホームへと向かう。新型のE257系はすでに入線済だが、ドアはまだ開けてはいない。そういえば、さっきから起きているので、だんだんおなかがすいてきたが、まだ弁当屋も駅そば屋もやっていない。どうしようかと思っていたところ、ちょうど、あずさに車販のために弁当を積み込むとこだった。見た感じ、あまり数が多そうではないので、売り切れてしまってはかなわない。ということで、あずさに積み込む直前に、松本でのお気に入りの駅弁「月見五味めし」を売ってもらう。そうこうしてるうちに、ドアが開かれ、早速、車内に乗り込む。まず、新車の匂いが鼻 をくすぐる。座席指定は取ってるものの、こんな時間では、まだガラガラ。とにかく、写真でもと荷物をおいて、でかける。まだ暗いのが残念だが、何枚か写真をとって、いろいろ観察してくる。側面の菱形のブロックパターンがすごく斬新、また、ドア付近には、あずさ沿線の風物、風景が描かれている。これは、すでに、各鉄道誌で報道済みだったが、私の勝手な想像で、安曇野を想像させるものばかりが描かれているかと思い気や、ちゃんと新宿方から新宿の高層ビル、富士山、甲州ぶどう、諏訪湖、りんご、道祖神などが順番に並んでいる。そりゃそうだ。我々、東京もんからみれば、あずさは信州行の特急だが、松本の人からみれば、あずさは新宿行の特急なんだもんね。

1号車は新宿の高層ビル 10号車は安曇野の道祖神
E257系客室の様子 側面のブロックパターン

そんなこんなしてる間に、いつのまにか、出発時間。E257系あずさ52号は東京に向けて、そろりそろりとホームを抜け出した。確かに、従来に183系に比べて、揺れが少なく、乗り心地はよくなったような気がする。とにかく、早いとこ、弁当食べてしまおう。相変わらず、月見五味めしはおいしいね。空はだいぶ、明るくなってきて、塩嶺トンネルを抜けたころにはすっかり夜が明けた。しかし、せっかく、この車両に乗る目的のために、わざわざ、昨日の晩に、アルプスで来たというのに、寝不足がたたり、だんだんと意識が遠のいていく。左に八ヶ岳、右に南アルプスの美しい山影を見ながら、いつしか眠りにつく。で気が付いたのが大月。けど、一瞬起きたというだけで、再び、爆睡。結局、新宿到着まで寝たまんま。何しに、乗ってるんだか...でも、このあずさ、前にも書いたけど、東京行。実は、この新宿−東京間が一番楽しみだったりするから、これはこれでいいのだ。(笑)しかも、御茶ノ水(通過)−東京間は特急では初乗り区間。よく乗る中央線でも、クロスシートから眺める景色はいつもとは違って見えるから不思議である。信濃町トンネルを抜けて、市ヶ谷の今話題になって いる雪印の看板を眺めつつ、外堀沿いを走る、東京ドームホテルが見えてくると、まもなく水道橋、そして聖橋の脇を潜り抜け、御茶ノ水。右に急旋回しながら、神田を通過。ホームで中央快速線を待つ人たちは見慣れない列車の通過に物珍しげな視線を送る。そしてあっというまに、重層化された東京駅2番線に到着する。東京に降り立つやいなや、松本ではすっかり忘れかけていた花粉が襲う。早いとこ、長野に戻るか。

東京駅に到着したあずさ52号 あさまの隣のホームに入線していたE4系MAX
先頭部は丸ですべり台のよう。しかも、ホームから簡単に登れそう。
すべるまでいかなくても思わず腰掛けたくなってしまった...(笑)
この列車は長野まで止まりません。 あさま3号


東京からは10時ちょうど初の長野までノンストップのあさま3号に乗る。長野までノンストップってすごいよね。所要時間は脅威の79分。東京駅の放送では、何度も、「この列車は東京を出ますと、終点、長野まで止まりません。お乗り間違いのないようにご注意ください。」と何度も案内している。車内は、土曜日ということで満席。長野新幹線もそろそろ10両編成にした方がいいかも...定刻の10時になり、東京駅をそろり、そろりと出発。御徒町トンネルに入り、ほとんどの列車が停車する上野を通過する。最速とは言っても、大宮までは騒音防止のため160kmの制限付き。その大宮も通過すると東北新幹線と別れるが、ちょうど、右の車窓に、その東北新幹線が並走る。互いに時速200km/hでの抜きつ抜かれつは、さしずめ、カーレースならず、トレインレースと言ったところで、迫力満点。そんな競争がしばらく続けられた後、、東北は次第に右へと離れていった。その後は260km/hでひたすらかっ飛ばす。あっという間に群馬入る。群馬と言えば、かかあ殿下に空っ風。各家に「かしぐね」と呼ばれる空っ風避けの背の高い生垣が目立つようになる。速度がやや緩くなってきたと思う と高崎を通過。そして、高崎の上越と北陸との38番分岐を160km/hで通過する。このあとは、トンネルのオンパレード。少々車窓に飽きてきた頃、いつのまにか、寝てしまう。たいして寝てないように思うが、気が付くとすでに、上田を過ぎて、早、篠ノ井付近にさしかかる。本当に早い。ほどなく、到着案内の放送が入り、長野のホームへすべりこんだ。後ろの席の3人づれのおばあさん達も、「まあ、もう長野?早いわね。」なんて驚きをこめて話している。おそらく、彼女達は旅といえば、SL時代の世代だろうから、本当に信じ難いほどの速さなのだろう。終点長野は2面4線とはいえ、新幹線ホームは意外とあっさりとした作り、将来的には富山、金沢方面に延伸されるので、その頃には所詮は途中駅に過ぎないので、シンプルな作りなのかもしれない。駅に降り立つと、ソルトレークオリンピックの中継をやっている。ちょうど4年前は、この長野だったんだなあ...。そのおかげで新幹線ができたのと引き換えに、趣のあった仏閣式の駅舎は近代的に変わってしまい、その新しい駅舎を振り返って眺めてみる。

長野新幹線開通を機に建替えられたJR長野駅 こちらが、長野電鉄長野駅 地下鉄の入口である
長電の長野地下駅のターミナル 長電3500系 元営団地下鉄日比谷線の3000系


そして、目の前にはまるで地下鉄のような長電の入り口がある。地下鉄のようなではなく、まさに、長電の長野口は地下鉄なのである。薄暗い階段を下りていくと、やや暗めのコンコース。ここで、2770円の2日間有効の長電フリーきっぷを購入。湯田中まで片道が1130円だから、単純往復では元は取れないが、途中下車をしたり、ましてや乗り潰しなんかしょうというなら断然お得だ。但し、特急料金は含まれていないから注意が必要。といっても、100円なのだが...。さて、まずはすぐに木島線へ向かいたいとこだが、どうせフリーきっぷを手にしたからには、やはり屋代線にも乗りに行く。ひとまず、分岐駅である須坂へ行く。市役所前、権藤、善光寺下とこまめに停車し、ここまでの2kmが地下区間。本郷からは地上に出る。車両は元日比谷線の3000系。正面と側面に赤帯びはあるものの、ほぼ、当時の日比谷線時代の面影をのこしている。地下から、地上にでる雰囲気からもも、六本木あたりから、中目黒をとおり、須坂はさしずめ自由が丘といったところかと言ったら長野を誉めすぎか...いや、ここまで、言ったらかえって嫌味かもしれない。(笑)。さて、ここで、屋代線とか 、木島線とか言っているが、実はこれは本当の名称ではなく、屋代〜須坂〜信州中野〜木島が河東線。信濃川の東岸を通ることから名づけられた。元は河東鉄道として開業している。そして、長野〜須坂が長野線。信州中野〜湯田中が山ノ内線となるが、現在は、運転系にあわせて、長野〜須坂〜信州中野〜湯田中を本線。屋代〜須坂を屋代線。信州中野〜木島を木島線と呼ぶのが一般的である。長電自身もそのような呼び方に統一している。須坂は、長電の車両基地があり、引退した元東急5000系の2500系。普段は運用にはつかないが、イベント時に使われ、ローレル賞を受賞したOSカー等を見ることができる、鉄道ファンには興味深いところである。

須坂駅 須坂駅には車輪や転轍機等がホームに展示してある。
引退した2500系 元東急5000系 こちらはローレル賞を受賞しらOSカー。
この写真の車両は今は現役を引退している。
須坂構内に留置されいる3500系。部品調達用の車両と思われ、
赤線もないので、日比谷線3000系そのまんま。
ライトがはずされてしまっているのがちょっと残念。
旧型電車も見ることが出来る。
いかにも車庫らしい絵図。 2500系と並ぶ屋代線3500系


須坂からはワンマンの屋代行。最近、ますます、乗客が減少し、運転本数も減り、今は、1時間半から2時間に1本まで減ってしまっている。多くはない乗客を乗せ、信濃川東岸をひたすら南下する。乗客の中には、木島線のおかげで、自分と同じように、屋代線に流れてくる鉄も少なからずいるところをみると純粋な乗客というのは更に少なくなる。まもなく、元信越本線のしなの鉄道の立派な複線が近づいてくると屋代になる。このしなの鉄道も長野新幹線開業後、JRから第三セクターに移管されたが、経営は思わしくない。こんなに立派な複線を持ちつづけるより鉄路を残すためには単線化も視野に入れて検討する時期がきてるのではないかと思う。方や、長野電鉄の屋代線ももっと厳しく。いつ木島線同様の話が出ないとも限らない状況にあるといえよう。2002年4月号の鉄道ジャーナルにもこのことを危惧する記事が掲載されており、新幹線接続の上田まで直通運転も一考の価値ありとの意見も出ていた。確かに、効果は別として、座して死を待つよりは今の時点で考えうる手段は何でも講じてみる。もやはそういう時期になってしまったのではないかと思う。さて屋代駅はしなの鉄道と共用で 、改札口からは一番遠い番線を使用する。跨線橋も、長電部分だけ木造である。今時木造跨線橋というのも珍しくなってきた。ホームも木造で非常に赴き深い、このホームで折り返し列車に乗り込み、須坂まで戻る。

屋代駅にて 今時、このような木造のホームも珍しくなった。
しなの鉄道屋代駅 長電と共用している。 長電部分のみ、木造跨線橋になっている。


このまま、本線に乗り換えて信州中野まで行ってもよいのだが、木島線の接続が悪く、1時間以上の待ち合わせになってしまう。須坂でブラブラしても仕方ないし、とりあえず、なんとなく長野まで戻ってみる。須坂−長野間は先ほどの屋代線とは大違い、同じ2両編成だが、運転本数も各駅停車が1時間に4本、特急が1本という、運転本数をほこり車内にも比較的活気がある。先ほどとは逆のルートを辿るが、善光寺下からの地下区間の駅は、やや古臭さを感じ、照明もかなり暗い。まるで、かつての京成博物館動物園のようである。(笑)最近、東京の地下鉄の古い駅はどんどん明るくリニューアルされてしまっているので、余計にそう感じるのかもしれない。地下化されて20年以上がたっているので、そろそろ、改装して欲しいとは思うが、今の長電にそれだけの余力があるのかは...
長野から再び折り返して、今度こそ、木島線を目指して、信州中野へ行く。信州中野には、木島線に別れを惜しむ鉄道ファンが大勢集まっている。自分もその中の一人というわけなのだが、廃線という情報が流れるとどこからともなく集まってくるので、我々鉄道ファンは葬式屋と揶揄されることもあるが、確かにそうかもしれない。実際、これだけのファンがいても、誰一人、廃線を止めることはできないのだから...本当に情けないものである。

木島線のりば 信州中野にて 木島線時刻表 10時代、13時代には電車がない。
木島線 信州中野にて 出発を待つ木島線 同じく信州中野にて
木島線車内の運賃表 木島駅 駅名標


信州中野を出ると、すぐに、山ノ内線が右に分かれてゆき、本当にひなびた風景の中を電車が進む。元は有人駅と思われる四ヶ郷を過ぎ、信濃安田は信濃川を挟んだJR飯山線の飯山と比較的近い距離にあり、次が終点の木島となる。木島では駅前から、飯山そして野沢温泉方面にバスが接続する。駅舎は木造でいかにもローカル線の終点の趣が漂う。木島も無人駅だが、駅舎には、木島線廃止まであと57日と書いたカウントダウンがあるのが物悲しい。

木島駅に張り出されているポスター 木島線廃止のお知らせ
こんなポスター1枚の掲示で77年走ってきた鉄道の廃止が
利用者に告知される
廃止までのカウントダウン。
開業まで何日というカウントダウンなら分かるが、
廃止までのカウントダウンとは...
木島駅
木島駅にたたずむ折り返し信州中野行 木島駅ホームにて
木島にて この時期後ろは銀世界 木島にて

折り返し時間は意外と短く、10分少々ですぐに、元来た電車で信州中野へ折り返し、中野からは、先輩方と落ち合い、本日最後の行程である湯田中へ向かう。湯田中へは長野から直通の特急のみが毎時1本走るが、信州中野から湯田中までは各駅に停車し、特急料金も不要である。この特急用車両の2000系は、長野電鉄のオリジナルで湘南型に通じる流線型の車体に、ロマンスシートという非常に魅力のある車両であるが、近年、座席は集団見合い式に固定されてしまい、ちょっと残念。終点湯田中は、配線の関係で若干のスイッチバック後、到着する。ちょっとした鉄の名物である。なぜ、このスイッチバックがあるかは明朝、解説しよ。ということで、本日は無事目的地に到着。


春も見もせずに... 長野電鉄木島線(後編)
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