あたいの夏休み2002 前編 〜信濃路・木曽路・山陽路・土佐路〜
やってきましたあたいの夏休み。「新聞に載るほど悪いこともなく、賞状を貰うほど偉いこともなくそしてゆっくりと1年は過ぎてゆくやっと5日貰えるのが夏休み。」
今回は18きっぷを使っていろいろ回ってきました。東京に台風が近づいている8月18日、日曜日、そぼふる雨の中、新宿9時7分発215系使用のビューやまなし号で出発。日曜日だし、混雑を心配したが、お盆の最終日で逆方向の上、天候の悪いのも手伝って、2Fのボックスを1人で占有できた。新宿では復活とり飯なる弁当があったのでまずこれを朝食がわりに購入してみる。新宿を定時に出発し、ポイントをゆらゆらと渡ってゆく。背が高い分、やはり2F席は大きく揺れる。普段はあまり感じないが、E351系やE257系すれ違うときに、屋根のあたりが目に入る。やはり2F建ては高いんだなと実感する。高尾までは雨脚はやや強くなったり、弱くなったりの繰り返し、高尾からはトンネル区間に入り、曲面ガラスに室内が写ることが多くなり、じっと見ていると酔ってきそうになる。小仏峠を越えて甲府盆地に近づくと、雨はやんでいる。トイレに行きがてら、車内をちょっと探検。先頭の1号車に乗っていたが、他の車輛はさらにすいている。そしてなによりも、2F席より、出入り口と同じフロアにある中2Fともいうべきところの座席が天井も高く、快適そうであることが判明。今 度はここに乗ってみようかと思うが、やはりせっかく215系に乗るんだからとどうしても2F席に上がってしまう。
いきなり駅弁の写真から。新宿駅の復刻鳥めし。 | 小淵沢に到着したビューやまなし号 |
小淵沢では30分の待ち合わせで後続の列車で松本へと向かう。その間に、小淵沢名物駅弁「元気甲斐」を購入。1300円でやや高めだが、2段重ねで、ちょっと懐石風の豪華な弁当である。今は、このくらいの値段はわけもなく、払ってしまうが、学生の頃は羨望の眼差しを注ぐだけで食べることは諦めていた時代が懐かしい。小淵沢をでると次が信濃境。名前の通り、ここが甲斐と信濃の境になり、長野県に入る。茅野では、ハイキングと思われる客が何名か下車。ここから先は単線区間に入り、特急でもほぼ各駅に止まる主要駅が続く。上諏訪では駅名物の露天風呂が足湯に改装されていて、多くの客で賑わっている模様。確かに、駅のホームに露天風呂があっても、もちろん、更室もよしずもあってホームから丸見えというわけではないのだがなかなか裸になって入るというのはちょっと抵抗がある。その点、足湯なら、靴と靴下を脱いで、ズボンやスカートの裾をまくれば、気軽に入れるし、男女混浴でも構わないわけである。こんど、ゆっくり入ってみよう。
小淵沢駅 | |
そしてこれが、小淵沢の豪華駅弁「元気甲斐」 | 中身はこんな感じ。おいしそうでしょう。 |
松本からは、懐かしの松本電鉄で新島々へと向かう。なぜ、懐かしいかといえば、その昔、夏休みを中心に、ここでバイトをしていたことがあるからだ。とりあえず、西口で、新島々までの切符を購入。西口にはまだ硬券が残っているのだ。車輛は元東急5000系から京王の3000系に変わり、冷房もついている。列車本数も40分に1本と気持ち増えたようだ。一頃に比べれば随分快適になっている。車内は、地元客と上高地へ向かう客をほぼ半々にして新島々へと向かう。途中、新村(にいむら)で上り列車と交換。ここは、松電の車輛基地になっており、1昨年まで使用されていた5000系もまだ留置されている。塗装など大分色あせており、窓ガラスが割れているところもあり、少々痛々しい。そして、この新村には、鉄道にとって国宝級のお宝が眠る場所でもある。元甲武鉄道のハニフである。普段は人目につかない、奥の倉庫にひっそりとしまわれているが、イベントの時などは公開されているようである。自分も昔、特別に見せてもらったことがあるが、そのときはまだそんな価値もよくわからず、ただ、ぼっろい電車だなって思っていたものだった。そんなわけで、今度、機会があれば、 もう1度、改めて見てみたいもである。さて、新島々へはおよそ30分で到着。上高地行きのバスターミナルと一体となって、駅舎も新しくなっており、これから向かう人、帰ってくる人で構内は賑わっている。すぐの折り返しで、再び松本に戻ってくる。
松電3000系は元京王の3000系 松本駅 | 新村に留置してある元5000系。 色もあせて、前照灯もなくなっていてちょっと痛々しい。 |
松本からは中央西線で一路名古屋へと木曽路を下る。313系だと思っていたら、東日本の長野色の115系。ちょっと気落ち。途中、寝覚めの床などの景勝地を車窓から眺めつつ、いやという程、特急に抜かれながら木曽路をだらだらと下る。中津川からは、初乗りのセントラルライナー。乗り換え客が一斉にライナー券の券売機に並ぶ。この列車、多治見まではライナー券なしでも乗車できるが、多治見以降を乗車する場合はライナー券310円が必要になる。残席数がみるみるカウントダウンされゆく、自分も、席がなくなる前にとりあえず、座席を確保する。セントラルライナーができたとき、こんなとこで、日中から料金制の快速なんかを走らせて、乗る人いるのかと思っていたが、蓋を開けてみると、これが予想外に好調で、今回の盛況ぶりをみても納得がいった。東日本の500円よりさらに安い310円という気楽に出せる料金なのも人気の原因だろう。このセントラルライナーのライナー券は、号車と座席の列が指定してある。例えば、1号車10番とだけ指定してあるので、10番のうち、A、B、C、Dは好きなとこに座ってよいということである。知らないとちょっと戸惑う。自分の場 合は、すでに、先客がいたのでおのずと、空いてる席に腰掛けた。ただ、車端部のボックスシートだったのがちょっとついていない。しかし、このボックスシート、向かいの席との間に、テーブルがついているので、そんなに窮屈な印象を受けない。多治見までは各駅に停車。そのあと、快速運転に入るが、快速区間はさすがに早い。そして終点手前の金山。名古屋で終点というのに、どういうわけか、乗車する人がいて、車掌からばっちりライナー券を買わされる。確かに、そういうルールかもしれないけど、金山ではかなりの人が降りてしまうわけで、座席も空いてるのだから、金山からは自由乗車でもいいのではないかと思ったりもした。名古屋からは、新快速で米原へ。大垣からは夜の関ヶ原超え。昔に比べて随分本数が増えたが、それでも、30分に1本。そして、いつも、それなりに混雑している不思議な区間である。米原から、JR西日本管内に入り、京都へ。ここで、本日の予定は終了。
これから中央西線を下る115系長野色 松本駅 | 313系セントラルライナー 中津川駅 |
これから、23時27分発のムーンライトに乗る。それまで、2時間近くあるので、とりあえず、銭湯に入りに行く。確か、京都駅前の京都タワーの地下に銭湯あるよなって思って、あてにしていたら、なんと、9時で終了したらしい...唖然。夜景とかこれから奇麗に見れる時間じゃん。「田舎だな京都は!」ととりあえず、持って行き場のない怒りで一人悪態をついてみる。しかし、今日、お風呂に入っておかないとこのあと、入れないから、なんとかしないと...しかも、弱り目に祟り目とはよくいったもので、ぽつぽつ雨まで降り出した。少々焦りもあって、大して暑くもないのに、どっと汗が噴き出し、余計に風呂に入りたくなった。さて、どうしよう...でも、ここで引き下がらないのが俺!とりあえず、駅に戻って、公衆電話コーナーへ。最近は携帯電話の普及でめっきり利用する機会が減ったが、ちゃんと小奇麗な公衆電話コーナーがあった。そこで、タウンページをめくり、銭湯を探す。ありました。京都駅そば。八条口徒歩5分。新都ホテルの手前の細い路地を下ること200m。大正湯。ここの路地。本当に、京都駅前から続いているのかと思うほどの狭い路地である。入湯料は350円。 京都タワーは1000円だから、怪我の功名で大分得をした。ドアをあけると、番台のおやじさんが、「おいでやす。」と声をかける。さすが、京都だ。中は典型的な銭湯で、こじんまりとはしているが、浴室内には小さいながら、4つの湯船とサウナがある。先客も1、2人しかおらず、ゆっくり入ってきた。営業時間は夜の11時までで、駅からも近いので、京都で夜行列車を待つ間にひとっ風呂浴びるにはお奨めである。もう一度場所のおさらいをしておくと、京都駅、八条口(新幹線側)を出て、やや右手正面に新都ホテルが見えるので、その手前の細い路地を入っていって200mほど。
ムーンライト山陽 京都駅 | 14系ラウンジカー部分 |
さて、さっぱりして、京都駅に戻ったら、それなりにいい時間になっていて、まもなく、本日のお宿のムーンライト山陽が入線してきた。この列車。ムーンライト高知とムーンライト松山と併結しているため、やたら長いが、ムーンライト山陽の部分は4両である。車輛はピンクと白の14系シュプール色。さすがに、夏休みで、18きっぷユーザーが大挙して乗るため満席なのだが、大阪を過ぎても、ちらほら空席が...どうも、不正に、2席分の指定席を取ってる人がいるらしい。まったく、どういう神経してるんだろう。あんたのおかげで、乗りたかった人が乗れないんだよ。この列車自由席もついてないんだから。(ここでやり口を書いてしまうと、悪用される可能性があるので、書きません。)JRもこういうのはしっかりと座席分の正規運賃を取るようにして、取り締まって欲しいものである。そして、もう1点。自分の隣に座ったのは女性。やっぱりさ、臨時列車でも、夜行列車なんだから、レディースカーとかレディースシート設けてよ。見ず知らずの男女が、一晩、隣同士の席っていうのは、気をつかっちゃうよ。痴漢に間違えられても困るしさ。と文句ばっかり言ってはいるが、このリクラ イニングシートものすごく倒れるので、すっごいよく眠れてしまった。翌朝、目がさめると、たらたらと電気機関車に引かれながら、山陽の穏やかな海沿いを走っていた。こういう瞬間が、夜行列車の魅力であり、またやめられない要因である。そういえば、こうして、客車列車に乗る機会もめっきり減ったよな。このモーター音もなく、発車するときの引っ張られる感じがなんともいえない。そんな列車を徳山で下車。初降りの駅である。
ムーンライト山陽の方向幕 | 一夜明けて徳山に到着 |
残念ながらヘッドマークはなし... | 徳山駅 |
まずは、オレンジカードあさり。みどりの窓口へ行ってみる。最近は、東日本はSUICA、西日本はJスルーカードが幅を利かせているため、オレンジカードの発売が少ないのだが、ここは、Jスルー圏外ということで、かなりいろんなオレンジカードがあった。そしてバカな私は全種類8000円分も買ってしまう。そして、次は駅弁。山口とくれば、やっぱりふぐ。ということで、ふぐの唐揚げが入っている「とくちゃんふくちゃん弁当」なるものを購入。次に乗る、岩徳線の車内に持ち込んで、さっそく、たいらげる。
徳山駅弁 とくちゃんふくちゃん弁当 ¥950 | 中身はこんなに賑やか。左下がメインのふぐの唐揚 |
岩徳線って、地味な印象あるけど、実際、非電化で1時間に1本程度しかないんで、地味なんだけど、実は我々利用者にとっては重要な役割を持ってる路線なのだ。実は岩国−徳山間は、山陽本線経由より、岩徳線の方が距離が短い。よって、山陽線経由で乗車した場合でも、運賃は距離の短い、岩徳線経由で計算される。なんかあんまり関係ないって思われるかもしれないけど、そうでもない。例えば、東京から新幹線で博多へ行くときもこの岩徳線経由での距離で運賃が計算されているのである。もし、この岩徳線が廃線にでもなってしまったら、わずかではあるが、運賃が上がってしまうのだ。これで、少しは岩徳線の存在価値が分かってもらえたであろうか。能書きはこのくらいにして、これから、錦川鉄道に乗って、今年の7月7日に開通した岩日北線のきららトレインへと向かう。乗り継ぎ時間の関係で、川西ではなく、西岩国で錦川鉄道の列車を待つ。本当に、時間合わせのために、西岩国で下車したのだが、駅舎を見て驚いた。こじんまりとしながらも、大正浪漫漂う、洋風建築でとてもすばらしい。無人の改札口を出て、案内板を見ると、この西岩国駅が元の岩国駅だったとか...なるほど、 立派な駅舎のはずだ。思いもかけず、いいものを見せてもらい、ご機嫌で、錦川清流線に乗る。
西岩国駅 洋館風のつくりがすばらしい。 | 駅前にある西岩国駅の由来 |
次の川西が岩徳線と錦川鉄道の分岐駅であるとともに、錦帯橋の最寄駅でもある。実際の分岐は川西駅よりさらに、進んだ山の中にひっそりと分岐のポイントがあり、そこを右へと折れて清流線へと入っていく。錦川鉄道はその名の通り、錦川に沿って、走っており、清流線という名の通り、本当に美しい川で、車窓からでも、泳いでいる魚が分かるほどである。そして、終点、錦町からは今回の鉄の前半のメインイベント未成線岩日北線の軌道をはしるきららトレインである。
岩徳線キハ40 徳山駅 | 錦側鉄道 錦町駅 |
岩日北線はかつて、錦町から、山口線の日原までを結ぶ鉄道として建設されたが、1985年に国鉄改革から建設が中止されてしまった路線である。しかし、トンネルや路盤の大部分が完成しており、そのまま使い道もなく放置されていたものを、錦町が観光資源にと、無償譲渡を受け、岩日北線記念公園として雙津峡温泉(そうづきょう)までの約6kmを2001年に山口きらら博で使用されたきららトレインを使用して走行させるようになったものである。錦町のホームできららトレインの受け付けがあって、そこで予約した名前を告げ、乗車券を購入する。通常片道500円のところが、往復だと800円。さらに、錦川鉄道利用者は2割引の640円になるから安いものである。そしてなんと、この乗車券はD型の硬券である。きららトレインは電気自動車がゴムタイヤの3両の客車を引くのだが、厳密に言えば、トレインではなく自動車。ただ、ぱっと見は車輛が繋がっているのでトロッコ列車のように見える。早速乗り込むが、家族連れや、おばさんの集団がいるにはいたが、さすがに、お盆明けの月曜日ということで、席に余裕がある。発車時間になり、きららトレインはゆっくりと走り出し、 すぐに、全長1200mという長いトンネルに入った。時速は約8km、歩くのよりは速いが自転車よりは遅いという速度だ。ひとしきり、ガイド役のおばさん車掌が岩日北線の経緯などを案内をする。それにしても、盛夏というのに、なんとトンネル内のひんやりしていること。しばらくは真っ暗闇の中をひたすら突き進む。遠くに出口が見えてくるが、速度が遅いため、なかなか近づいてこない。そして、少しづつ出口に近づくにつれて天井のあたりをちらちらと黒い物体が舞っている。そう、コウモリである。かなりの数に少々驚くが、向こうもいきなりの列車の通過に驚いているのだろう。20年以上も誰一人通らず、彼らの家だったわけだからもっともである。
きららトレイン 錦町駅の駅名標 JR西日本にそっくり... | そして、これがきららトレイン 2001年山口きらら博で使用された電気自動車である。 |
もう1本の予備車。 | D型硬券乗車券 N村にはやらないよ! |
やっと長いトンネルを抜けると、小さな集落に出る。路盤の脇には駅になるはずだったホームを過ぎる。しかし、こんなに立派なものを作っておいて、途中でやめてしまうなんて...。これこそ、税金の無駄だね。よくもこんなことを...。というか、ここまで出来ていたなら、できていたところまででも走らせれば良かったのにと思ってしまった。それにしても、なんてのどかな風景なことか。まだ、日本にもこんなとこがあったんだと思わせるような風景が続く。そして、再び、長いトンネルに入る。このトンネルは全長約1800m。同じように、コウモリの棲家になっている。この2番目の長いトンネルをくぐり抜けるとまもなく終点の雙津峡温泉になる。ここには、きららトレイン運行のための列車の転回所が設けてある。さらに、その先にも、トンネルがあるのだが、運行はここまで。この先にも行ってみたいなあ...どこまで続いてるんだろう...きららトレインが到着すると、私を除く、乗客は、用意された温泉のあるレジャー施設へと流れていった。私はといえば、本当はゆっくりしていたかったのだが、このあとの鉄の関係ですぐの折り返しで戻ってくる。しかし、誰も乗ってはおらず、一人で の貸切状態で少々恥ずかしい思いをする。まあ、鉄なんだからこんなこと慣れっこなんだけど。再び、ゆっくりと錦町に戻るまでの間、景色を堪能する。錦町での錦川鉄道の接続はわずか2分で心配だったが、きららトレインの方が若干早く到着したので、一安心。このまま、岩国へと戻る。
岩日北線ののどかな風景 | 岩日北線の路盤。この上をきららトレインは走ってゆく。 |
途中の駅が出来るはずだったところ。 | 雙津峡温泉 駅名標 |
雙津峡温泉から先もトンネルが続いている。 | 雙津峡温泉に到着したきららトレイン |
山深い温泉地に停車するきららトレイン | 錦町からは再び、錦側鉄道で岩国へ 1両づつ違ったカラフルな塗装が特徴 |
気が付けば、昼も過ぎ、お腹も減ってきたので、駅弁屋を探すが、それらしきものがない。岩国ともあろう駅がと思って、さらに、うろついて、駅構内のそば屋(といっても立ち食いではない。)に大名寿司という弁当がおいてあったので、それを購入。岩国からは、昼下がりの山陽路をのんびり下る。最近の山陽線の閑散時間帯は2両編成の115系のため、車内はちょっと混雑。ドア脇のロングシートに腰掛ける。夏休みのため、地元の中高生のグループがプールにでも行くのであろうか、友達同士で乗ってくる。しかし、席が空いていないため地べたに座り込む。どこでも、同じだな。でも、ちょっとマナー悪すぎ、検札にきた車掌がたまりかねて注意をする。2時間ほど乗ったであろうか、小郡に到着。
岩国駅 | 岩国駅で買った大名寿司 |
のどかな山陽の海 | とある山陽本線のひなびた駅 |
ここからは宇部線経由で宇部へ向かう。トリコロールカラーに身を包んだ105系は、山陽本線から分かれて、海岸沿いを走ってゆく。途中の宇部新川は実は宇部市の中心地で山陽本線の宇部より賑わっている。宇部からは再び来た道を居能まで戻って、小野田線に乗り換える。小野田線はクモハ123の単行で、車端から車端まで超スーパーロングシートが特徴である。そして、とりあえず、雀田まで乗車。とりあえずと書いたのは鉄道ファンの8月号によると、雀田−長門本山間の小野田支線のチョコレート色の旧型国電が前回のダイヤ改正で遂に引退して、クモハ123になったという。でも、まあ、クモハ123でも、とりあえず、行ってみるかということで、とりあえずなのである。でも、廃車になったわけではなく、イベントとかには姿を表すということも書いてあり、夏休み期間中はもしかしたら、運用があるかも、なんてだめでもともとでも、ちょっとだけ勝手に淡い期待をしてたりもした。
115系広島色 岩国駅 | 小郡駅 |
小郡までくると、九州の香りがしてくるものだ。 停車中の列車はJR九州車の415系小倉行。 |
宇部線105系 小郡駅 |
宇部駅 | 小野田線123系 雀田駅 |
そして、雀田を降りて、小野田支線の発着するホームを見ると、な、なんと、チョコレート色の物体がいるではないか!まじ!超ラッキー!ダメだと思っていただけに、余計に嬉しいものである。思わず、スキップしながら、クモハ42に乗り込んだ。独特のタールとニスの匂い、木枠の青色のクロスシート。日よけのよろい戸。どれをとっても、超レトロ。まさに走る博物館である。そして、吊り掛けのうなり音。車内は乗客が数名とあとは鉄とおぼしき人が自分も含め3名。乗客が少ないのは、予想していたが、夏休みだから、もう少し鉄がいてもよさそうなものだが...そして、5分程で終点の長門本山に到着。いきなり線路がぷつりと切れたような格好の駅である。ここで、折り返しまで26分あるので、なめるように、眺めたり、写真を撮ったり。(笑)。
会えると思っていなかったクモハ42 雀田駅 | クモハ42の案内板 雀田駅 |
長門本山に到着 | 正面から |
クモハ42001 側面のリベットにも年代を感じる | いかめしい台車。 |
銘板の数は勲章の数? 日本国有鉄道の銘板も見られる。 | 側面の様子。ひたすら、窓が並んでいるのも特徴的。 |
そして、運転士さんに、「今日はこの電車が走ってるんですね。やはり、夏休みだからですか?」と聞いてみると、意外にも、「毎日、走ってますよ。」との答え。驚いて、鉄道ファンに引退したと載っていたと話すと。「そんなことないですよ。毎日、定期で走ってます。点検とか、まあ、古い車両だから、時々MGの調子が悪いときなんかは123が入ることもあるけどね。」と話してくれた。まじ?こんな大変なこと、鉄道ファンともあろう雑誌が誤報かよ!ちょっと腹が立ちながらも、でも、誤報で良かったとの安堵の気持ちが交錯する。駅のところに、小野田市で立てたと思われるクモハ42の案内板がある。小野田市としては、観光資源にもなるのだろう。そんな貴重なものがそうやすやす無くなるわけないと思ったりした。家に帰ってから翌月の鉄道ファン9月号を確認すると、後ろの方に小さく訂正が載っていた。バカヤロー!!!。だいたいおかしいと思ったんだよね。この車輛が本当に引退するなら、もっと鉄道ファンが大騒ぎするよね。俺、全然、知らなかったもん。(笑)。しかし、ほどなくして、niftyの鉄道フォーラムのニュースで、来春引退の情報が流れた...今度の情報は本当か...。 もし、本当なら残念なニュースである。しばし、クモハ42と戯れたあと、再び、雀田に向かって動き出した。もう、最後かもしれない、吊り掛けサウンドを心ゆくまで楽しんだ。
ボックスシートの様子 | 別角度から |
車内の様子 | 運転台付近 |
ホームにて | 駅エンド側から |
長門本山に停車中!なんともいえないのどかな雰囲気 | やや下から見上げてみました。 |
雀田に戻ってきました。 | 雀田駅 |
雀田からは再び、小野田線で小野田へ。そして、山陽本線に戻り、本州の最西端、下関へ。下関では、今夜、東京へ向かう24系25形のあさかぜが留置線にたたずんでいるのが見てとれる。下関からはいよいよ関門越え。直流から交流に変わるのだが、車輛は、そんなことはおかまいなしの、山陰線の間合いで使用されるキハ40で門司へ向かい、約4年ぶりの九州上陸を果たす。とりあえず、小倉。せっかく九州にきたのだからと、明太子を買って、自宅に送る。そして、883系で博多へ向かう。
下関までやってきました。 | 関門トンネルはこのキハで超えます。 |
そして九州上陸! | 走る列車も九州ものばかりに変わる。 |
小倉のかしわ飯 | 中身は定番のとりそぼろ |
813系 博多駅 | 博多駅 今回の鉄での最西端の地 |
今回の鉄の最西端である。博多ではそんなにゆっくりする暇もなく、今夜のお宿のムーンライト九州の出るホームへ。始発駅だというのに、列車の入線は発車の2分前。そして、全車指定だというのに、乗り場にはすでに長い列。どうせ、席は決まっているんだからと自分は、ホームをほっつき歩く。夜の9時と言っても博多はまだまだ宵の口。各ホームにはさっきからひっきりなしに、列車が発着しいている。811系や813系の近郊型から、883系ソニックや885系かもめ等の特急型までが、賑わいを見せる。どれも、九州でしか見られない車両だけに、いくら見ていてもあきることはない。
交流機ED76で門司まで牽引されてきたムーンライト九州 門司駅 | 14系。こちら側はノーマルタイプ。 下関駅 |
関門トンネル部分は交直流機EF81が牽引 下関駅 | ラウンジタイプ側の14系 |
機関車付け替えの間、しばし、顔を出す。 | そして、下関からは直流機EF65で京都まで行く 下関駅 |
機関車付け替え完了 | ムーンライト九州のサボ |
ムーンライト九州の方向幕 | 岡山では寝台特急「あさかぜ」との出会い。 |
そんな感じでホームをうろうろしていると、いきなり、若いグループに声をかけられる。やばいっ!おやじ狩り?とちょっとびびったが、写真を撮ってくれとのこと。ちょうど、ED76を先頭にムーンライト九州が入線してきたので、ホームに滑り込む機関車をバックに写してやった。きっと、彼らにとってよい記念になるであろう。かくして、車輛に乗り込むと、席が先ほどの若いグループのそばだったのだが、ちょっと騒がしいよ!君たちって感じ。次の日は4時に岡山で降りなくてはならなかったので、すぐにでも寝たかったのに...あまり寝られず、結局、門司と下関の機関車のつけかえを見学してしまった。(笑)
あたいの夏休み2002 後編 | |
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