あたいの夏休み2002 〜信濃路・木曽路・山陽路・土佐路〜 後編
岡山は早朝4時8分。ねぼけまなこのまま、とにかくホームに降り立つ。始発のマリンライナー1号の発車まで1時間以上あるので、岡山の駅を徘徊してみるが、こんな早朝では、どこも皆、シャッターがおりていてつまらない。仕方なく、ホームのベンチで待つことにする。まもなく、瀬戸の花嫁のチャイムがなると、マリンライナーの入線。5時24分発、8月も半ばを過ぎ、さらに、西日本なので、やっとあたりが、明るくなってきたころ、四国へ向けて出発!始発のマリンライナーなので、快速とはいうものの、こまめに停車しながら、進んでいく。途中、日中はほとんどマリンライナーの停車のない上の町に停車。なにげなく、外を見ていたら...!!!思わず駅名標を写真に収めた。(笑)。児島を出ると、ガタガタと音を立てながら瀬戸大橋に入る。朝日に輝く瀬戸内海は本当に美しい。しばし、その景色に見入る。そして、宇多津構内の三角線を左に進み、四国最初の停車駅の坂出で下車。無事、四国上陸を果たす。
マリンライナー1号 岡山駅 | サロ212 まもなくこのパノラマグリーンも見納め。 |
瀬戸大橋線上の町の駅名標 よく見ると「こじま・きみ」 渡鬼ファンにはたまらない駅名標です。(笑) |
瀬戸大橋通過中 |
坂出からは、琴平へ向かう。やってきた列車は113系改造車。東日本の113系を譲渡してもらい改造した車両だが、車内外ともオリジナルの面影はほとんどなく、車内にも快適な転換クロスシートが並ぶ。東京にいるときも、こんな快適な113系に乗ってみたかった...(笑)。多度津で予讃線と分かれて、土讃線に入り、まもなく、琴平に到着。
坂出駅 | 113系 改造車 坂出駅 |
ここから、阿波池田行きの単行の気動車に乗り換える。ホームにちょこんと止まっていた車輌はここ四国と北海道にしかその形式がないキハ54。といっても、北海道のは寒地仕様で窓が小さく二重窓になっているので、暖地仕様のキハ54は四国だけということになる。電化区間も琴平までで、この先の土讃線は特急は1時間に1本あるが、普通電車は極端な閑散路線になる。そんな路線をゆっくりと徳島県境へむけて登ってゆく。突然、列車が停車し、バックしたから何事かと思ったら、坪尻のスイッチバック。いつも四国では特急ばかり乗っていたのでこんなとこにスイッチバックの駅があるなんて気づきもしなかった。たまには各駅停車の旅もいいもんである。そして、この列車の終点の阿波池田に到着。
キハ54 カレーパンマンのヘッドマーク付き | 坪尻のスイッチバック |
阿波池田は、こんなとこでも、一応、交通の要所。高松・高知・徳島の四国の各都市に加えて、岡山行きの特急もやってくる。一通り、特急を先に出すと、高知行のワンマンカーの出発となる。ここから先もすごい閑散線区。途中、繁平で特急の通過待ちで、20分近くの停車なので、駅に降りてみて、時刻表を見てみると、日中は3時間もあく時間帯がある。また、列車内にトイレの設備がないため、この間を利用してトイレを済ませるようにとの車掌からの案内がある。四国では、どういうわけか、ほとんどの各駅停車からトイレの設備を撤去してしまっている。都市圏で、短い区間しか乗らないところや、運転本数が多いとこならそれもわかるが、このような超ローカル路線ではいかがかと思う。その分、こうのような特急の待ち合わせを利用してトイレに行けというのかもしれないが、跨線橋を超えていかなければならないし、トイレ自体も男女兼用のものが1つあるだけで、しかも、無人駅であるがゆえに、清掃が行き届いているとは言い難い。特に、こういう地方ローカル線にはご年輩の方々も多く利用されるので車内にトイレはつけてもらいたいと思う。特急が通過しても、閉塞区間に列車が入っ
ているため、特急が次の駅を通過するまで、この各駅はしばらく停車。やっと重い腰を上げて、再び、山道に分け入っていく。小歩危、大歩危と景勝地を下に眺めると、まもなく、高知との県境になる。しばらくは険しい山の中を進み、新改駅は、またまた、スイッチバックの駅。ここで降りてどうするの?っていうくらいの山の中で、駅があること自体が不思議なくらいである。当然、降りる人も乗る人もないのだが、列車は律儀に、スイッチバックを行い、駅に停車する。この駅を過ぎると、高知県に入り、今度は一気に坂を下る。下りきったところが土佐山田になる。
キハ32 阿波池田駅 | 繁藤駅で特急の通過待ち |
繁藤駅 | |
繁藤駅 時刻表 日中は極端に本数が少なく3時間あく時間もある | 特急の通過をひたすら待つ |
ここでも、特急の待ち合わせのため、しばらくの停車。その時間に駅前に出てみたが、南欧風の洒落た駅舎になっている。ここからは、乗客も多くなり、列車本数も多くなる。この列車にも、後ろに1両増結した。途中の後免では、これから乗る予定のごめんなはり線にタッチの差で接続せず。車窓から、くじら模様の展望車が走り去るのを眺めてしまう。もう、どっちも、本数が多いとはいえないような路線なんだからちゃんと接続取るようなダイヤにしてよ。ということで、このまま後免で待っていても、1時間以上あるので、そのまま高知まで行ってしまう。
南欧風の造りの土佐山田駅 | 2000系気動車南風アンパンマン号との出会い 土佐山田駅 |
高知駅 | 高知駅前まで乗り入れている土佐電鉄 |
高知に降り立つのも久しぶり、とりあえず、オレンジカード買ったり、お土産買ったり、駅弁買ったり。駅弁はかつおたたき弁当。やっぱり高知は、かつおのたたきだよね。そして、ごめん・なはり線直通の列車が出るホームへ。ところが、この単行の安芸行の快速列車、別に、土日でもないし、通勤時間帯でもないのにすさまじい混み方。なんだよ...。お土産や、駅弁買って、荷物が重くなっているせいか、ちょっと、イライラ。しかも、JR四国主催のツアーの団体客が乗り合わせているようでJRの職員がいろいろ案内をしてる。おいおい、団体を乗せるなら、増結しろよ。かくして混雑のまま高知を出発。土佐くろしお鉄道の新型気動車は、さすがに、電車並の加速で突っ走る。運良く、後免でなんとかロングの部分の席にありつくが、かえって、乗ってくる客の方が多く、とても弁当を食べれる雰囲気ではない。仕方なく、そのまま安芸まで行くことにする。後免から1つ目の後免町は、駅名が似ていて紛らわしいが、土佐電鉄との乗り換え駅になり、ここでも、それなりの乗降があり、さらに混雑してくる。そんな俺のイライラをよそに気が付けば、列車はいつのまにか太平洋沿いを走っていた
。で、何より驚いたのが、海の青さ。日本でもこんなきれい海ってあるんだって思った。途中、和食(わじき)で団体客が降りて、幾分車内が落ち着いてきたがそれでも、まだ立ち客がいる状態だったが、まもなく、終点の安芸に到着。
日本とは思えないような素晴らしい景色。 電線がちょっと邪魔... |
土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線9640形 |
安芸駅 | 安芸検車区 これも高架線上にある |
安芸からは乗り換えで奈半利へ向かうが、しばらく待ち合わせの時間があるので、ちょっと駅前に降りてみる。いい加減、荷物が重いので、土産物屋から宅急便を送ろうと思ったが、扱っておらず、そのまま持っていくことに。安芸には、車輌基地があり、それも高架上にあるので、なんか変な感じ。現時点で運用に入っていない列車が3両ほど、昼寝していた。もう、昼寝させてるなら増結しろよっ!安芸のホームは高架橋の上に1面2線のホームがあるのだが、ホームに列車が入ってきたので、乗り込もうとするとその列車は高知行だと言う。そして後から入ってくる同じホームの奈半利より停車する列車が奈半利行きだという。もう、電光の発着案内も、案内放送もなく分かりにくいことこの上ない。また、先ほどの混雑した列車に疲れた乗り継ぎの乗客は今度こそ、座席を確保しようと殺気だっている。暑さも手伝って、この時点でなんか生理不順に見舞われそうになる。とにかく、今度はクロスシートでしかも、海側に無事陣取ることができ、やっとかつおのたたき弁当にありつけた。安芸から奈半利は、思ったほど距離はなく、20分程で到着。奈半利で特にすることもなく、適当に駅の写真を撮っ
て折り返してくるが、この列車は、高知行の快速でこれもまた、かなりの混雑。狭いホームにはすでに、待ち客でごったがえしている。どうにかこうにか、座れたが、混雑のまま後免まで戻った。開業してまだ間もないという物珍しさと、夏休みということがあるかと思うが、とりあえず、このごめん・なはり線は盛況のようである。また、各駅に漫画家のやなせたかし先生のキャラクターが決まっており、その、スタンプラリーをやっているため、地元の子供達も多く乗っていた。とにかく、地元にとっては工事凍結で長年待ち焦がれていただけに、この鉄道に寄せる期待も大きいようで、それはそれで結構である。このまま、この盛況ぶりが続いてくれれば何よりである。ただ、今回のように、いつも混雑しているような車内であれば、そのうち、お客はまた鉄道から離れていってしまうであろう。事あるごとに、書いているが、ラッシュ時はともかく、普段は座れる鉄道を目指して欲しいものである。再び、土讃線で来た道を戻る。乗り換えが2分で慌しかったので、よく見てはこれなかったが、ごめんなはり線の開業に伴い、駅全体が新しく整備されている。
かつおたたき弁当 | 左側にちゃんとかつおのたたきが入っています。 保冷剤(上の方にある白いもの)も入っているので安心です。 |
奈半利駅 | 下山駅 アンパンマンでおなじみのやなせたかし先生のキャラクターが 各駅にあります。 |
さあ、ここから、また、南国土佐を後にして、ひたすら、山道を戻るか。阿波池田からは、ついこないだまでは、気動車の代名詞だったが、今や新型気動車に押され、各地から次々と撤退して全国的にも少数派になってきたキハ58、キハ65にあたる。この列車は、琴平から快速サンポートになり、高松まで直通する。そのためか、時間帯のせいか、今朝、スイッチバックで驚いた、坪尻は通過。ま、そうだろう。しかし、懐かしいな。やっぱりローカル線の気動車はキハ58だよね。しかも、4両もつなげてるし。こんな長編成のキハ58に乗れるとは思ってなかったので、ちょっと嬉しい気分。しかし、琴平からは電化区間に、気動車の快速ってことで、相当、気合を入れて走らなくてはいけない。老体に鞭打ちながら、高松へと向かう。高松で、駅弁を仕入れたあと、マリンライナーで岡山へ。思えば、この213系のマリンライナーも来年に新型車輌への置き換えが発表されており、乗り納めになるかもしれない。好きな車輌だっただけにちょっと残念。列車は瀬戸大橋に向けて出発した。そして、さっき、高松にくる途中にも気がついたのだが、瀬戸大橋の方から煙が上がっているのが見える。相当
な煙で、空がかすんで見えるほどで、工場かなにかの爆発とか火災とかが起きたのかと思うほどだ。列車はその煙の方にどんどん近づいてゆき、煙の元がわかる地点までやってきた。どうも、山火事らしい。あとで、ニュースで知ったのだが、これが、本島の山火事だった。初めて山火事というものをこの目で見たのだが、すごい煙に圧倒されてしまった。車内の乗客も、不安そうに、山火事を眺めている。瀬戸大橋を渡り終わると、外は大分暗くなってきた。途中の大元で特急の行き違いのために運転停車。やっぱり、瀬戸大橋線は複線にした方がいいよ。そして、今朝、早朝に出発した岡山まで戻ってきた。岡山では、荷物の半分を宅急便で自宅に送り、ちょっと身軽になる。
キハ65+キハ58の堂々4両編成 阿波池田駅 | 本島の山火事 瀬戸大橋線の車窓から |
高松の駅弁 讃岐五目ずし | 中身はこんなに鮮やかです。 |
そして、今夜の寝床となるべく、ムーンライト山陽を迎えに、ひたすら、山陽線を西へ向かう。広島行の115系は117系に改造を施した2ドアの転換クロスシート車。途中の入野(にゅうの)には、「電車に乗って、通勤電車を直通させよう!」というようなスローガンが掲げてあった。次の白市からは、白市発の広島行が1時間に2本ほど設定されているから、この列車を延長を要望しているのであろう。しかし、このスローガンとは裏腹、入野での乗り降りは皆無であり、白市では、乗降が、何名かあった。なんの変哲もない途中駅で、なぜ始発列車があるんだろうと思っていたが、理由が分かったような気がした。そして、だらだらと、いつのまにか、セノハチをも越える。そういえば、何年か前に瀬野にスカイレールが出来たときに来たが、あれから、3年。少しは利用客は増えたのか、ちょっと、丘の上に目をやったが、大して、住宅は建っていないように見えた。もっとも夜なのでよく分からないが...。さて、列車は2時間40分かけて広島に到着。さすがに、中国地方最大の都市だけあって、夜10時を回っていても通勤客が絶えず、列車の発着も多く駅には活気がある。せっかく広島に
きたので、長くはない乗り換え時間を利用してKIOSKでもみまん(もみじまんじゅう)を買う。そして、さらに、ムーンライト山陽を迎えに行くべく、宮島口まで西進する。日本三景の安芸の宮島という日本有数の観光地の玄関口だが、夜11時ともなれば、閑散としたもので、かえって物寂しいものがある。並走する広電の最終もなくなり、フェリーまでの道路も暗く、ちょっと怖い。何よりも、高校生くらいの、不良っぽい(いまや死語(笑))グループがたむろしていたのが、さらに、怖かった。こんな時間に駅前なんかウロウロするんじゃなかったってちょっと後悔、まじで怖かったんで、さっさと駅に戻る。宮島駅はほとんど業務終了とばかりだったのだが、頼み込んで、宮島駅のオリジナルオレンジカードを売ってもらう。こんなとこからムーンライトに乗る客なんていないだろうと思ってホームへ行くと、1人だけ先客がいた。今日で夜行も3泊目。さすがに、少々お疲れ気味。車内はかなり空いていたが、広島からは、ほぼ満席になったが、疲れもあって、いつのまにか寝入ってしまった。気が付くと、岡山を過ぎる頃。眼鏡をかけたまま寝ていたはずなのに、胸のポケットに入ってる。きっ
と、寝ているうちにはずれてしまって、どこぞの親切な人が、拾って、胸のポケットに入れてくれたのだろう。心の中で、感謝する。再び少しの間、眠りにつき、次に起きたのは、神戸に到着するころ、車内放送で起こされた。列車はそのまま大阪を通りぬけて、京都へと到着した。京都では後続の東海道線で草津へ向かうが、さすがに朝早いため本数が少なく、20分程ホームで待たされる。しかも、すごい混雑。草津からは草津線、直通がないので、とりあえず、貴生川へ。貴生川はこの草津線と近江鉄道、信楽高原鉄道とが交わるので、小さな駅ながらも活気がある。京都方面行には7両編成の221系が入線する。こちらは、西日本色の115系で関西本線の接続駅の柘植へ。柘植からはキハ120系で亀山に出て、JR東海管内へと入る。亀山以東は213系かと思い気や、313系。JR東海ではありとあらゆる電化線区にこの313系が入っているようだ。この313系に揺られて富田まで行く。三岐鉄道に乗るためである。
三岐鉄道の電気機関車ED45形 かなり年季が入っています。 | セメントを積んだ貨物列車 |
実は、廃止が取り沙汰されている近鉄の北勢線に行きたかったのだが、このまま向かっても、終点の阿下喜まで行く列車がないので、時間調整ということと、北勢線を引き継いで経営するという話があがっている三岐鉄道の現状を見ておきたいというのもあって、乗りに行ってみることにした。JRの富田と三岐鉄道の出る近鉄富田は徒歩で10分くらい離れている。昔はJR(国鉄)富田から出る列車もあったようだが、現在は、貨物を除いて、JRの方にくる列車は1本もなく、すべて近鉄富田からの発着になる。さて、JRの駅を出て、予め、地図で調べておいたので、大方の方角は分かっていたので、とりあえず、近鉄富田に向けて歩き出す。とは言っても、付近は住宅街になっていて、分かりにくいことこの上ない。近鉄の線路が見え、特急列車が行き交うのは見れるのだが、はて、駅は...ということになって、ちょうど、庭先にでていた、おばさんに、訊ねてみた。おかげで、すぐわかって、無事近鉄富田に到着。近鉄の駅なので、券売機は近鉄線の切符しか売ってなく、窓口で西藤原まで500円の切符を購入。窓口で購入ってことは今時珍しくなった硬券ってわけである。さて、途中駅の保
々行がすぐの発車ということで、とりあえず、駆け込んで、乗車してしまう。
クモハ101形 保々駅 | ED45が重連で長大貨物列車を牽引 |
平日の通勤時間帯も終わったしかも、逆方向ってことで、列車内はかなり閑散としている。三岐鉄道は最近、サイクルパスといって、車内への自転車の持ち込みができるようになったが、持ち込んでる人もいない。そして、山城−保々間は乗客は自分一人になってしまった。保々では後続の列車を待つが、その間、貨物列車が行ったり来たり、入換えたりで、30分の待ち時間退屈することがなかった。この三岐鉄道の貨物列車はファンも多く、今日も、この貨物列車を目当てに何人かの鉄道ファンが訪れていた。せっかくなので、自分も待ち時間を利用して何枚か写真を撮ってくる。三岐鉄道はこの貨物列車が収入の大半をしめているようだ。また、中部国際空港の建設で土砂の運搬もあり、これも追い風になっているようだ。しかし、空港が完成し、セメント輸送もトラックに切替になって鉄道貨物が中止になったらこの鉄道はどうなってしまうんだろうと思ってしまった。事実、貨物の取り扱いがなくなって、廃止になっていったローカル線は数多くある。これで、本当に近鉄から北勢線を引き継げる余力があるかちょっと心配になってしまった。さて、後続の列車は元西武の101系の3両編成。右に鉱
山、左にセメント工場を見ながら進んでゆく。終点西藤原にはウィステリア鉄道という鉄道公園が整備されており、現役引退したSLが展示してある。また毎週日曜日にはミニSLの運転をしている。(ウィステリアとは藤原の藤の英語)さて、せっかく、西藤原まで来たのだが、あいにく、折り返しは6分。帰りの乗車券と写真を数枚撮ってくるだけで、近鉄富田までとって返して来る。
クモハ801形 西藤原駅 | 保存SL102号機 西藤原駅 |
ここからは近鉄で桑名へ向かい。いよいよ今回の鉄の最後の目的である北勢線に乗りにゆく。近鉄名古屋線に乗ること自体もすごい久しぶりだったりする。北勢線の出る西桑名駅は桑名駅前というか駅横というか、200m程はなれている。別に、わざわざ、西桑名と駅名を分けなくても通用するとは思うが、一応駅名は別である。北勢線は元は軽便鉄道だったが、運良く?近鉄に買収され線路の幅がわずか、762mmという特殊狭軌と呼ばれるゲージだが、こうしてここまで生き延びてきた。現在、このナローゲージが存在するのは、この近鉄の北勢線と同じく、近鉄の八王子・内部線だけである。電車は入線しているが、改札は発車の5分前まで行わないらしいので外から何枚か写真を撮る。やっと改札。車内の乗り込んだが、本当に車内が狭いのに改めて驚く。路線バスのように片側1列づつしか座席がないのである。そして、冷房もないので、窓全開といいたいとこだが、日が差し込んできて、ちょっと暑い。ので、ブラインドを閉めざるをえない。今は冷房のある車輌は当たり前だが、一昔前までは首都圏にも非冷房車が結構あって、こんな感じだったよなっと懐かしい気がした。
北勢線 西桑名駅 | 線路の幅は特殊狭軌(ナローゲージ)762mm |
車両もかなり小型 | 北大社駅 |
北大社に停車中 |
電車は廃止になるというのに、それなりに乗客が乗っている。そして、ひどく田舎を走るのかというとそうでもなく、だらだらと集落が続く。だらだらというのは、普通は駅周辺に集落があって、駅間は閑散としているがそうではなく、駅前も、駅間も同じように、なんとなく、集落が続いているという感じである。そして、その割に駅間が長いのである。つまりどういうことかというと、この辺の住民はあまり北勢線に依存していないということなのであろう。しかし、こんな素朴なナローがよくぞ、ここまで生き延びていたものだと感心もしてしまう。向かって左側は山になるが右側は視界がひらけている。少し奥には先ほど乗った三岐鉄道が並走しているはずである。といっても、3、4Kmは離れているのだが...。楚原では有名な3連の石橋を渡り、40分ほどで終点の阿下喜に到着。運転士が切符を集めるのだが、西桑名で買った切符がでてこない。(汗;)あれ?なくしたかな。時々やるんだよね。こういうの。仕方なく、もう1度、運賃を払ったのだが、待合室でもう1度、いろんなポケットをさぐったら、出てきました。切符。慌てて、運転士さんのとこに言って、謝って、払い戻ししても
らいました。(滝汗;)
車内の様子 バスの様に1列づつのシートが並んでいる。 | ロングシートの車内。 ほとんど、クロスシートのように席が近い |
阿下喜駅 | 阿下喜駅に停車中 |
さて、折り返しまで30分程。喉が渇いてきて、コカコーラ−が無精に飲みたくなった。ペプシではなくコークなのだ。ちょうど、駅前にコカコーラの自販機があったので、買おうと思ったら、なんと売り切れ。まじ?でもって、売り切れだと余計飲みたくなるのが人情ってもんで、とにかく、そこら中、ほっつき回る。そして、近くにちょっと大きいショッピングセンターを見つけてやっと買いました。栓を抜いたときにプシューって音がたまらないね。さて、阿下喜の駅に戻ってみて改めて駅の観察。1時間に1本程度しか、電車がなく、また、それほど、乗客がいるわけでもないのだが、タクシーが3、4台も客待ちをしている。確かにバスもあまりなさそうだし、ここから先、どこかにいくにはタクシーしかないのかもしれないが、ちょっと多すぎる。ちなみに自分の乗ってきた電車からタクシーに乗り継いだ人はいなかった。タクシーの運ちゃんが手持ち無沙汰に来るとも分からない客を待っているのはちょっと気の毒にも思えた。さて、折り返しも同じ列車だが、今度はロングシートの車輌に乗ってこしけた。前の席に人が座ると、まるでクロスシートにように、席が近い。帰りは、だんだん、乗客 が増えてきて、西桑名に着くころには車内の座席がほぼ埋まるくらいになった。帰ってから耳にしたニュースによれば、北勢線は来年4月以降、三重県の援助の元、正式に三岐鉄道が経営を引き継ぐことに決まったようである。これからもいろいろあるとは思うが、三岐鉄道でも、新駅を作って集客に努める等、考えるとこもあるようで、ないはともあれ、鉄路の存続に乾杯!
側面の様子 | 1車両のなんと短いこと |
いかにも軽便鉄道という雰囲気が漂う | 西桑名に向けて出発を待つ |
これで、今回の予定は全て終了!あとはひたすら東京に向かうだけ。桑名では5分の接続で快速みえに乗り継ぐ。5分しかないので、かなり急いだが、みえの方が遅れており、ホームで、十分に時間があった。英国カミンジズ製のエンジンが唸り、電車並の加速度で名古屋に向けて疾走する。
キハ75系 快速みえ 名古屋駅 |
名古屋からは久しぶりに311系の快速に乗る。少し前までは新快速の運用にバンバン入っていたものが、いまや、313系にその地位を追い出されて快速列車や各駅停車の運用が主になってしまっている。個人的には313系より311系のほうが好きな車輌なのだが...。せっかく、お気に入りの車輌に乗ってるというのに、鉄も4日目になるとさすがに、疲れが出て、浜松までほとんど爆睡。浜松で夢遊病者のように、対面の電車に乗り換える。乗り換えた電車は、熱海まで行く、ロングラン。こういう疲れた時は、乗り換えの少ないのがなにより助かる。車輌の方はロングシートの211系で味気ないが...。静岡でも、雲が多く、富士山は今回も拝めず。外もすっかり暗くなったあと、丹那トンネルを通り抜け熱海に到着。最後の乗り換えをする。鉄は終わったけど、まだまだ夏休みが残ってるってことで、このまま実家に帰るので、今回は横浜で下車。久々に横浜市営地下鉄に乗って、無事帰還。お疲れ様でした。
あたいの夏休み2002 〜信濃路・木曽路・山陽路・土佐路〜 前編 | |
YOKOHAMA EXPRESS HOME | TRAIN TRIP INDEX |
copyright (c) 2002 FUSHIKEN all rights reserved.